この本は以前にマイクロブログで知り合いに「読むだけ時間の無駄だ」と忠告されていたにも関わらず、冒頭部分が非常に引き込まれる話になっていたので期待して読み進めた結果、半分ぐらいのところでこれ以上読むのが辛くなり放棄しました。
この本をジャケ買いならぬタイトル買いした読者は少なくないでしょう。『単身太久会被殺掉的』、日本語に訳せば『独り身が長いと殺される』という目を引くタイトルだ。更に英語の副題がFind a Husband Before the Killer Finds Youとなっていて思わず苦笑いが漏れます。
ただし、とあるレビューでこのタイトルが『我的妹妹不可能那么可愛』(俺の妹がこんなに可愛いわけがない)、『問題児童都来自異世界』(問題児たちが異世界から来るそうですよ?)といった日本のライトノベルみたいだという指摘にはあまりピンと来ません。
単に文字数の多さが似ているだけでインパクトでは全然劣ります。日本のライトノベルみたいなタイトルと言うのであれば『単身太久的我終於被殺掉了!』(ずっと独身だった私がついに殺された!)ぐらいないと。(中国語の正確性は保証できません。)
本作のあらすじは以下です。ホント、始めの数十ページは面白かったんですけどね…
法律事務所に働く周遊は高学歴で高収入だがまだ独身という典型的な余女(行き遅れ)であり敗犬女(負け犬)(注:原文ママ)だった。その彼女が事務所の女ボスから自殺案件の調査を頼まれる。それは、大手の製薬会社からの依頼であり、新薬の抗鬱剤の治験をしていた女性が突如自殺し、女性の遺族が自殺の原因は新薬の副作用にあるとして製薬会社を訴えていることに対し、原因が薬とは無関係であることを示す証拠を探すという内容だった。
事件を担当している刑事の王小山の協力の下、自殺した女性がネット掲示板に投稿していることを掴み、そこから彼女が死ぬ前に失恋していたことが判明する。自殺は失恋によるショックと考え依頼の成功を確信する周遊であったが、死体の状況を思い返してそもそも他殺ではないのかと疑い始める。そして、日を置かずまたもや同じ抗鬱剤の治験をしていた女性の自殺が起こり、彼女は再び調査に乗り出す。立て続けに起こる自殺は抗鬱剤の副作用なのか、それとも連続殺人事件なのか。
裁判に勝つ証拠を探すために法律事務所の人間が探偵の真似事をするという切り口が面白かったのですが、それ以降はただただ読みづらく、展開の把握しにくい小説でした。
なんでこの本が私にとって読みづらかったのか、以下の3つの原因が挙げられると思います。
九度空間 著:赤蝶飛飛/中国文聯出版社
私は中国の小説をレビューする際はあまりネガテイブなことを書かないようにしています。何しろ中国の小説なんかレビュアー自体が少ないので私の拙い、場合によっては誤ったレビューがその作品と作者の評価になってしまうと私、作者、そしてレビューを読んでくれた方三者にとって良い結果を生まないからです。だからその作品が駄作であってもレビューするならなるべく面白かった箇所を取り上げようと思っていますし、批判する場合は中国のアマゾンや豆瓣などのレビューに目を通して、私の読み間違いということがないよう自分の理解が正しいか確かめてから書くことにしています。
しかし中国帰国後に読み進めていた赤蝶飛飛の『九度空間』が以下の三点で一般的な駄作から頭を一つ抜けていたので今回は取り上げることにしました。
1.年明け一冊目にレビューするにしてはあんまりな出来だった。
2.微博(マイクロブログ)で自分以外に批判している中国人がいて内容が更に辛辣だったから。
3.2に対する作者の弁解?が面白かったから。
さて、日本のクソゲー業界では年末には魔物が出てくると言われていますが、それは中国ミステリ/サスペンス小説業界にも当てはまるんでしょうかね。今回は2014年11月に出版され、その帯文に『スティーブン・キング的な始まり方、東野圭吾的な方程式による謎解き、ヒッチコック的などんでん返しの結末』と銘打たれ、更に『怪談協会』(中国のホラー映画)、『死神来了』(ファイナルディスティネーション)、『致命ID』(アイデンティティー)の総合体験とまで書かれた、いろんな作家や作品のキャラクターがごちゃ混ぜになった中国サスペンス小説のキメラこと『九度空間』を紹介します。
・あらすじと内容
中国のスティーブン・キングと呼ばれ、中国どころか世界的に有名なサスペンス作家・陳嵐の熱狂的な読者である10名の男女が彼の財産を継ぐために集められる。財産を受け継ぐ条件とは、陳嵐の新作である9つのサスペンスストーリーを外部との連絡が遮断された別荘で9日間聞くということであり、話を聞くにあたって9つのタブーを守らなければならなかった。だが初日にタブーを破った人間がいきなり死に読者は9人となり、更に陳嵐のストーリーに合わせたかのように毎日誰かが被害に遭う。これは呪いなのか、それとも財産を狙う何者かの犯行なのか。サスペンス作家のニューエイジ赤蝶飛飛の超長編シリーズ。
本書は作品の中で登場人物により本編と関係のある別の作品が展開されるという要するに入れ子方式です。ですがこの入れ子方式に問題があって、合計9話に及ぶ短篇の一つ一つがやたら長いのです。本書の合計ページ数が250ページに対し、第一話目が50ページ程度あるため、読んでいる時にちゃんと完結するのか不安になりましたが、なんと本作はこれ1冊では終わりません。上中下巻の3部構成になっているのです。だから帯に『超長編シリーズ』と書いていたのですね。(中下巻は未発売)
そしてストーリーを陳嵐が口述しているという体裁のため短篇が終わる度に本編へと戻るのですが、その際に読者たちがその短篇が如何に素晴らしかったか陳嵐を褒め称えます。それが作者赤蝶飛飛自身への自画自賛にしか見えません。そして、その短編自体がそれほど面白くないので、我々読者が作中の読者に全然感情移入できないのです。
本作にも主人公がいるので彼のみ一歩引いて冷静な目で短篇を批評することにより実際の読者と気分が共有でき、またその作品に込められた謎などを考えることができるのでしょうが、作中で微妙な出来の短篇を手放しで褒められるとまるで作家が私達読者にまで「さぁ褒めろ」と強要しているような気にさせられます。
またここが一番重要なのですが、本作はサスペンス小説のジャンルであり本書で発生する事件はどれも人外の力が働いているとしか思えないのですがその結末には決して「精神病」や「幻覚」、「二重人格」、「催眠」及び宇宙人や幽霊などの非常識な要素を謎解きに使わないと作者赤蝶飛飛は前書きで約束しています。
であれば、その言葉にウソがないことを証明するために、本書で起きた怪異にしか見えない事件の一つでも推理によって解決してほしかったのですが、本書はまるまる1冊使って『謎編』だけで終わります。
他にも色々言いたいことはあるのですが、3部作の大事な1冊目なのに2冊目以降買う気を起こさせない内容なのは作者云々ではなく出版社に問題があると思います。これ完結するんでしょうか。
我的偵探路 著:孟広剛
本書は2006年に出版された中国初の私立探偵・孟広剛氏の自伝です。彼が中国で初めてとなる探偵事務所を興してから遭遇した代表的な事件が紹介されています。
タイトルの『我的偵探路』は翻訳すれば『我が探偵人生』とでも言い換えられるでしょうか。本書の表紙には『中国第一私人偵探真情告白 当代中国福爾摩斯探案伝奇』(中国初の私立探偵の真の告白 現代中国ホームズの事件簿)と書かれており、今から8年前の書籍とは言え探偵=ホームズという相変わらずの短絡的な連想に悲しくなります。中国ミステリも国産化の波に遭って霍桑とか宋悟奇とかの中国人探偵がクローズアップされたらいいのに。
孟広剛は初め公安で働いておりましたが公安だけではできる限界があると悟り、1993年に瀋陽で中国初の探偵事務所・『克頓偵探所』(アラン・ピンカートンのオマージュ)を立ち上げます。しかし、何しろ中国初ということなので役所も探偵事務所の申請など受けたことがないから全然受理されず、創設以前から苦難の連続だったようです。ですがやはり物珍しさもあってかメディアには好意的に扱われました。
ただ、存在こそセンセーショナルではあるもののミステリ小説のように警察の代わりに殺人事件を捜査するなどということはなかったようです。しかし本書で取り上げられている事例を見ますと探偵もその国の文化によってその業務に特徴があるということがわかります。
例えば、金持ちの旦那が愛人を囲っているから何とかしてくれという奥さんの依頼に対して、探偵スタッフがその愛人の彼氏となることで旦那が愛人に愛想を着かせ奥さんの所へ戻すという業務などは浮気調査ではなく別れさせ屋の範疇です。
また本書でも『ホームズすら遭遇しなかった問題』と紹介されている、有名ブランドの模造品調査などはいかにも中国という業務ですが現代ならば法律事務所の仕事でしょう。しかしこの事例、依頼人であるカミソリ会社のアメリカ本社が市場調査にわざわざ私立探偵をリクエストして実際に孟広剛にコンタクトを取る所なんかは、ちょっとズレているなと思います。
本書で紹介されている事例の中で私が一番面食らったのはとある腐敗分子をターゲットにした復讐の依頼です。女好きのターゲットの弱みを握るため孟広剛が使った手段は商売女を遣わしてその情交の様子を録画することでした。女性の協力もあって仕事は見事成功し、孟広剛は依頼人や女性とともに祝杯を交わすのですが、これって要するに『ハニートラップ』じゃないんですかね…
孟広剛の活躍は中国全土にとどまらず、日本のメディアにも取り上げられるまでになります。
「金の次は女か。楽をしてもうけてぜいたくしている証拠だぜ」と日本のテレビ番組でゲスな字幕を付けられている孟広剛。この番組を放送した日本アジアテレビ局ってどこなんだろう。
しかし現在、中国大陸で私立探偵は禁止され、2013年1月までに2,500人を超える私立探偵が検挙されたと伝えられています。
汚職官僚を暴きすぎた?中国で私立探偵を一斉検挙=2500人超えるとも―米華字メディア
そもそも中国ではだいぶ昔から私立探偵の存在は違法とされていたらしく、克頓偵探所が正式に営業した1993年7月から二ヶ月後の1993年9月に公安部から『【私立探偵事務所】的な性質を持つ民間機構の開設を禁止する通知』が発布されています。
ただ、その一方で孟広剛が探偵として大手を振るいテレビなどにも頻繁に出演していることから、この通知の強制力がどれほどのものだったのかが不明瞭です。本書に彼が何故取り締まりから逃れられたのかが書かれていないので推測するしかありませんが、孟広剛の元公安出身という経歴が活きたのか、それとも需要があってお目こぼしされていたのか、そもそもこの通知にそれほどの威力がなかったのかもしれません。
また、この通知は公安や武警などの警察機関が私立探偵事務所を組織したり関係したりすることを禁止しており、これが中国ミステリに探偵を登場させられない一種の『縛り』になっています。とは言え、『上に政策あれば下に対策あり』と言われる中国では、中国ミステリにも堂々と『探偵』を出せることができるのですがその説明はまた別の所で。
えげつない調査方法を駆使する探偵と大金を支払ってまでそこまでさせる依頼人、これじゃあお上から禁止されるのもさもありなんと言ったところですが、こんなんじゃ中国で探偵が子供の憧れの職業にはなるのはまだまだ先でしょう。せめてフィクションの中ぐらい格好いい探偵が描かれていればいいのですが、如何せん私立探偵が禁止されている世界では結局現実には存在しないキャラとして認知されるか、または警察と対をなすアンチヒーローになるのが関の山と言ったところでしょうか。
現実でもフィクションでも探偵が生きづらいのが中国という世界です。
偵探日記之隠匿的証言 著:西樵媛(広西人民出版社)
これまで中国人が書いた日本を舞台にしたミステリを何冊何話も読んできましたが、それらの作品に登場するのはみな日本人であり、単純に日本ミステリの体裁を借りているに過ぎません。
ホラージャンルではありますが日本を舞台にし中国人を登場させた作品に『窒息』を挙げることが出来ます。そして本作『偵探日記之隠匿的証言』では日本の殺人事件を解明する中国人探偵が登場します。しかし探偵が中国人である意味が全く感じられず、物語の構成そのものに疑問が生じてミステリ要素を楽しむことが出来ませんでした。
小学生までを日本で過ごしたことがあり現在はまた日本に滞在中である中国人の穆木は以前にとある殺人事件の際に知り合った刑事の小田切と検死医の水戸とともに彼の身近で起こる難解な殺人事件を調査する。全4作の短篇からなる本書で穆木は、『戯劇的人生』では身分を偽り豪華客船に潜入し、『美麗陰謀』では妹の所属する劇団で起きた殺人事件について、『替罪羊』ではクローズドサークル状態になった別荘で友人達の中から犯人を探し、『卑微的殺意』では犯人が遺したダイイングメッセージを探り、有名人連続殺人事件の謎を追う。
本書の特徴としては4篇の作品全てに毒を用いた事件が登場することですが、事件の詳細を述べる前にまずは本書を読む上で気になって腑に落ちない点を紹介しましょう。
・穆木が中国人である設定
穆木の本職は推理小説家であり、日本のミステリ雑誌で探偵『暮木優』(穆木も暮木も中国語の発音は同じくMumu)が活躍する小説を連載しております。もともと小学校まで日本にいたことがあり日本語能力には全く問題はなく、それは『戯劇的人生』で豪華客船のスタッフとして働き客を欺いていたことからもわかります。
それどころか穆木は作中でいちいち探偵であることに注目されますが、外国人であることを指摘されたことがありません。だから、中国人であることが推理をするの上で優位に働くことも、それがハンデになることもありません。
では何故本書では暮木優ではなく、中国人の設定を持つ穆木を主人公にしているのでしょう。
・作中作の存在
本書で起こる毒殺事件は穆木が実際に遭遇し小説に改編した事件を模倣しております。それが『十天遺嘱』と2年前に相川家で起こった連続殺人事件を書いた『古玉的詛呪』です。しかしこの2作がほとんど作中作的扱いで詳細はほとんど書かれておりません。調べてみると『十天遺嘱』は作者・西樵媛のブログで連載されており、穆木が創作したという設定の探偵暮木優が難事件に当たっています(未読)。ですが『古玉的詛呪』がどこに掲載されていたのかは今のところ探し出せておりません。
つまり『古玉的詛呪』または別の作品で穆木を中国人にした理由というか必然性が書かれているのでしょう。じゃなきゃ最初から日本人探偵の暮木優を出していれば良いだけの話ですからね。
作品後半で穆木が自分の作品を真似して凶行を犯した犯人を咎めるシーンがありますが、じゃあ実在の事件をモデルに小説を書いているお前はどうなんだよ。と全く説得力がありません。
・キャラクターの名前
調べてみるとこの作者はイギリスに留学経験のあるオタク女子で、おそらく日本文化の知識は一般の中国人オタクと同様と思います。だからか、作中に登場する日本人の名前がおかしいんですよね。
酒井中越、唐沢松織、佐藤容優、瀬戸無桜、麻里恒原、小島草などなど…
九井平川と九井長岩の兄弟に至っては考えるのを放棄したんじゃないかというぐらいおかしいです。そしてこのような作者の誤解や知識不足から来る奇妙な名前って、ちゃんと考え抜かれたライトノベルのキャラクターの名前とは異なり、全く魅力がありません。
だからここまで来ると、無理して日本が舞台のミステリを書かなきゃ良かったんじゃとさえ思います。
表紙に『シャーロック・ホームズ、江戸川コナン…次の名探偵は誰だ?』と中国人なら誰でも知っている探偵の名前しか書いていないことや、出版されていない作品を作中作として登場させる構成などを見ると、中国ミステリのレベルの低さは作家だけに起因するものではなく、彼らを指導する編集者にもいくらかの原因があると言えます。