罪癮者 著:冷小張
作者・冷小張からの頂き物。
前半と後半で評価が大きく異なる作品だと思う。前作『霜凍迷途』もそうだったが竜頭蛇尾としか言えないこの展開は果たして作者の意図した通りなのか、それとも作品の展開に作者自身が着いて行けずスケールを小さくすることでしかまとめられなかったのかはわからない。ただ私から見るとどうも後者のイメージを拭えない。
本作では前作『霜凍迷途』で脅威の推理力を披露した『監獄刑事』こと高川が刑務所に入っている理由が語られる。それは彼の恋人家族が本作から遡ること5年前に雑誌記者たちの軽はずみな報道によって犯罪組織の報復に遭い、皆殺しにされたことに起因している。高川はそのニュースを流した雑誌社に抗議しに行ったところ副編集長と取っ組み合いになり誤って殺してしまったため懲役5年の刑に服していたのだ。そして本作で発生する連続殺人事件はその5年前の事件と深く関係している。
高川入獄のきっかけを作った雑誌記者の一人である卓凱は罪の意識に苛まされ酒に逃げる日々が続いていた。ある日、酩酊から覚めると傍らに見知らぬ男・余磊の死体を見つける。証拠隠滅を図った卓凱は死体を森林に埋めに行ったが後日余磊の死体は自分が埋めた場所とは全く異なる場所で発見される。それどころか、本来死体を埋めた場所からは前妻の再婚相手・呉立輝の死体が見つかった。誰かに嵌められていることに気付いた卓凱は5年前の事件に関与した雑誌記者仲間にも来た死刑の判決文が悪戯ではないことを悟る。
何者かが高川の恋人家族の復讐を遂げようとしている。だが5年前の事件とは全く無関係の人物すら次々に殺されていき、無差別殺人の様相を呈した事件の解決は高川の出所を待つことになったがその高川すらも犯人の手にかかってしまった。いったいこれは誰の、何のための復讐なのか。
まずこの作品の一番の不満は犯罪被害者を苦しめるのは直接手を下した犯罪者だけではなくマスコミやその報道を娯楽として消費する不特定多数の一般人も彼等を追い詰める一員となっていると書いているのに、犯人側の制裁が一般人にまで及ばないところである。また、同じ地域で何人もの人間が同一犯により殺されているというのにそれに対する一般人の反応が非常に薄く、警察VS犯人のありきたりな二者対立の構図にしてしまい当事者以外を蚊帳の外に置いてしまっているのもいただけない。そして報道によって人を死なせたマスコミは決して正しい存在にはないにせよ、復讐されるべき存在でもないはずだ。だが何人もの少女を強姦したレイプ犯や嘘によって人を自殺に追い込んだ冤罪加害者、恐喝者らと一緒で一括りに殺されてしまうから、法の上では無罪であるはずのマスコミの一分の正義すらも顧みられない。問題提起の機会があるのにそれを活かせていないのが非常にもったいなかった。
そして、犯人の正体に近付くほど犯行の動機も目的も含めてイメージが矮小化してしまうのも期待はずれだった。というのも、前半部では正体不明の復讐鬼が対象を追い詰めるためだけに無関係な人間を殺していき、死体すら復讐に利用する道具としか考えていないような冷血漢に見えていたのに、実は被害者全員に共通点があって犯人にとっては殺す理由があったと判明されるのだが、そんな理由なら無差別殺人の方がまだマシだと思えてしまったからだ。
前半部は今後の展開が気になるし社会派ミステリに見えるから中国におけるマスコミ事情や報道規制などを考える心構えができていたのに、大きく広げた風呂敷を畳む度にストーリーがスリムどころか先細りになり単なるサイコサスペンスに落ち着いてしまったのは本当に残念だった。
謎が明らかになる度にストーリーがスケールダウンする構成はやはり作者が題材を持て余したんじゃないかという疑いが出てくる。読ませる力はあるのだから下手に様々な殺人事件を出してそれが実は全て関連性のあったという牽強付会な結論にするのではなく、一つの事件にのみ絞った方が良かったのではと思った。
淑女之家 著:鬼馬星
2015年から『推理世界』に連載されていたので新作かと思って購入したところ、本自体は2009年が初版だった。どうも2014年にテレビドラマが放映されたことを期に雑誌連載されたようで、私が購入した本も2015年出版の再販版だった。
本作は『暮眼蝶』や『紐扣殺人案』の主人公である記者の簡東平とその恋人で警察官の凌戈が登場するシリーズの第三作目です。
知人の女性ルポライター周瑾が音信不通になり心配した簡東平は凌戈に彼女の行方を調べてもらう。すると、周瑾という名前は偽名で住所も全くのデタラメだったことがわかり、更に通話記録から最後に電話した人物が最近自宅で殺されていたが判明し、周瑾が何らかの事件に巻き込まれていると考えた簡東平は被害者の蘇志文の家へと向かう。その家は沈碧雲という初老の女主人が管理する豪邸で、蘇志文は彼女の4人目となる22歳年下の夫だった。そして周瑾の足取りを追う簡東平は彼女の私物から沈碧雲の自伝『淑女之家』を見つける。いったい周瑾と沈碧雲の関係は?
普通のサスペンス小説ならこれまで4人中3人の夫が死んでいる沈碧雲を重要人物として描くのでしょうが、ここには常に周瑾という正体も目的も居場所もわからない女が中心におり、彼女の素性を暴くことが最大の目的になっています。簡東平の地道な調査によって周瑾の素顔が徐々に明らかになってくる過程は宮部みゆきの『火車』っぽいなと思いましたが、怪しい要素満杯の沈碧雲が物語に全然絡んでこないのはミスリードというか肩透かしにしか思えず、全体的に展開は地味でした。
本作の見所はむしろサスペンス部分にはないかもしれません。本筋に鬼馬星特有の恋愛要素があり、本作は物語冒頭で別れる簡東平と凌戈が事件を通じてよりを戻すまでを描いていると紹介しても良いかもしれません。
鬼馬星の作品はこの恋愛要素を楽しめないと正式に評価できない気がします。
Salome 七重紗舞 著:E伯爵
中国のミステリ評論家・華斯比が2014年度中国サスペンス小説第5位に選んだ本作をとうとう積ん読から救い出して読んでみたのだが、「うーん…」という感想しか出ない微妙な内容だった。
舞台はアメリカのニューヨーク。アジア系アメリカ人の刑事アレックス・リーは新約聖書の『サロメ』を模した猟奇的連続殺人事件を担当することになる。大学教授のモリス・ノルマンの助力で犯人が同性愛者の男で、とあるキリスト教組織の構成員をターゲットにしていることがわかるが警察の一枚上を行く犯人の凶行は終わることなくついにはアレックス・リー自身にも魔の手が及ぶ。そして彼は自身も同性愛者だと公言するモリスに疑惑の眼差しを向ける。
いわゆる翻訳ミステリ風の小説。モリスが事件の鍵を握っているんだなというのは容易に予想がついたが、なにせ後半まで犯人の具体的な人物像が全く出てこないのでこのままモリスが真犯人だったらどうしようという不安が常に付きまとう内容だった。ただ、モリスの過去の秘密についてスマートに伏線を張っていて、こういう自然な伏線の張り方には年季を感じさせられた。
また本作でもE伯爵の十八番である読者の想像力を煽る耽美的な設定があり、モリスが別の意味でアレックス・リーを狙っているんじゃないかという番外的なサスペンスも見どころの一つだ。
ただし小説としてはあまり面白くはなかった。犯罪と聖書を絡めたり、同性愛差別や児童虐待などの社会問題を組み入れたり、いかにもアメリカ『らしく』仕上げてきたなというのが第一印象だが、じゃあアメリカドラマと一体何が違うんだと言えば特に目新しい点はないように見えた。
実はこの作品の初出は2007年らしく、ならばその時期にアメリカドラマと遜色のない長編を書き上げたことは見事としか言えないが、2014年にわざわざ再評価するような作品かと言えばそれも違う。
この本、読んでいる時にやけに気になったのが地の文でのアレックス・リーの三人称だ。本名の「アレックス・リー」の他に「黒髪の男」とか「黒髪の刑事」などの名称で呼ばれているのだが、この使い分けがいまいち理解できなかった。読者がアレックス・リーの外見を忘れないようにという配慮なのか?
あまりにも「黒髪黒髪」うるさいので、実はアレックス・リーの隣にもう一人アジア系の人間がいてそいつが犯人だという叙述トリックなんじゃないかと疑ったがそんなことはなかった。このくどさで翻訳ミステリっぽさでも出しているのだろうか。
温柔在窓辺綻放
中国語の推理小説を対象にした『島田荘司推理小説賞』の常連作家・王稼駿が第三回島田荘司推理小説賞に応募して入選した作品が本作で、元々のタイトルは『熱望的人』だった。それがミステリ専門雑誌『最推理』に連載されるときに「こんなタイトルじゃ売れない」と編集に言われたのか『温柔在窓辺綻放(仮訳:優しさは窓辺で花開く)』と改題された。タイトルである程度察しがつくが、本作は感動系ミステリを狙っている。ただしその内容は王稼駿が『明暗線』で発揮した底辺学生の自分勝手な友情や他者の理解を拒む苦悩と言った特色が描けてはいるもののそれが青春へと昇華されておらずやや消化不良と言ったところだ。それに今回は恐らく親子の交流をテーマの一つにしているのだろうが不良学生同士の付き合いと比べてこの大人と子供が心を通わせる様子はどれも陳腐に見えてリアリティもオリジナリティもなく到底感動できる話ではなかった。
そもそもこの作品は前半と後半でまるでジャンルが異なっていて一つの作品としての一貫性に欠けているように思えた。まず本書の裏表紙に記載されているあらすじをざっと書いてみよう。
大病を患い全身麻痺になった妻の易理希のために夫の郭樹言は意思の疎通が出来る装置『小獅子』を作り上げる。一方、彼らの住む地区ではここ最近凶悪な殺人事件が発生し、警察の駿作は易理希が事件に関する何かを知っているのではと推理し彼女から事情を聞く。そして『小獅子』が出した容疑者の名前は他でもない夫の郭樹言のものだった。
このあらすじを読んだ読者はきっと本書をSF要素のある推理小説と思い、『小獅子』の出した答えに装置の故障または意図的なバグの存在を疑い、更にはそもそも『小獅子』の証言に信憑性はあるのかなどと考えるだろうがそんなもの杞憂に終わる。何せ『小獅子』の役割は前半で終わり、中盤からは殺人事件の被害者に近しい人物である学生たちの学校生活に移行するからだ。
郭樹言・易理希夫婦の隣に住み家族ぐるみの付き合いをしてきた学生の吉宇、駿作の息子で不良の秀人、そして彼らの学校に転校してきた章小茜の3人が主軸となり学校でそして家庭で醜い争いを起こす。この3人は決して殺人事件と無関係ではないのだが、彼らの介入によって物語の軸が大きくぶれたという印象は否めない。
肝心の推理部分、要するに殺人事件の犯人に迫る描写もまるでおざなりで、読者の予想もしない犯人が登場し、更に郭樹言・易理希夫婦の思惑なんかも明かされたが、これらの結末は家族問題や学校問題が混線した本を長い間読まされた読者を納得させるものではない。特にラストに明かされる郭樹言・易理希夫婦の無私の奉仕など如何にも感動的で『エンディングだぞ、泣けよ』と言われているようで鼻白んでしまった。
本作が第三回島田荘司推理小説賞で一体どのような評価を受けたのか是非とも知りたいものである。きっと私が見逃した魅力が本書には隠れているに違いない。
五次方謀殺 著:軒弦
バカバカしいほど面白い傑作。
本書の帯には周浩暉(刑警羅飛)シリーズ作者、雷米(心理罪)シリーズ作者、紫金陳(謀殺官員)シリーズ作者、庄秦(有名なサスペンスホラー小説家)の連名の推薦があり、庄秦だけ代表作がないのか…となんだかモヤっとした気分にさせられる。周浩暉と雷米は一定以上のレベルのミステリ・サスペンス小説を必ずと言っていいほど紹介している『推薦文作家』だが、本書は確実に彼らの賞賛を得るに値する内容だ。
そしてキャッチコピーには『盗夢空間』(インセプション)に匹敵する頭を悩ませる大作であり、ミステリ界の『蝴蝶効応』(バタフライ・エフェクト)と称される。と書かれている。
全面真っ黒の別荘・漆黒館にやってきた夏は殺人事件に巻き込まれる。そこで従業員として働いていた慕容思炫の推理によりすぐに犯人が見つかったが、犯人の哀れな姿を見た夏は殺人事件が起きなかった未来を切望する。そして翌日、家に帰ってきた夏のもとに差出人不明の奇妙な機械が届く。その機械を作動させてみると、なんと時間が1日過去の、つまり殺人事件が起こる前の漆黒館にいた頃に戻っていた。これから起こる犯行を知る夏は犯人の凶行を未然に防ぐことに成功する。にも関わらず翌朝にはやはり李が死体となって見つかってしまう。しかもタイムスリップを重ねるごとに事態は前回よりも確実に悪くなっていき、徐々に夏自身まで追い詰められていく。
本書はタイムスリップを活用したSFミステリだが、館ものにありがちなトリック及び推理もきちんと用意されており、また黒いユーモアに溢れている。
被害者の李は金持ちで人間のクズであり、夏がどの世界軸に行っても絶対殺される運命にある。夏の目的は李を死なせないことではなく、犯人に殺人をさせないことなのだが、Aの犯行を阻止すると、今度はBが犯行を実施し、しかも犯罪のスケールや悲劇性が徐々に大きくなっていくという悪夢を夏は見続けることになる。
選択肢一つのミスでバッドエンドを迎えるという構成は『かまいたちの夜』とか『ひぐらしのなく頃に』などのサウンドノベルゲームを思い起こさせるが、失敗するたびにタイムスリップをし、前回の経験を活かして次はもっと良い結果を生もうとするのは桜坂洋の『All You Need Is Kill』にも似ている。
本作に登場する名探偵・慕容思炫は軒弦の生んだ名キャラクターで、珠玉の短篇集『密室不可告人』にも完璧な推理を披露する。本作ではどの世界軸で起きたいかなる事件も完璧に解決する完全なる名探偵という役割を担い、人間というよりも物語の機構の一部として活躍する。もしこの慕容思炫がタイムスリップをすればきっと確実に犯罪を防ぐことが出来たのだろうが、探偵の仕事は事件を防ぐことではなく解決することにあるのでその役目を担うことは出来ないだろう。