上海ブックフェアで手に入れた一冊(真ん中)。
作者の陸は2013年に『撸撸姐的超本格事件簿(ルルさんの超本格事件簿)』というユーモアミステリ小説を自費出版して話題になった。前作がほとんど事務所内で安楽椅子探偵が推理を展開していたが、今回はミステリオタク垂涎の土地で超個性的な探偵たちが我も我もと自己流の推理を披露する。
私立探偵の存在が許されていない中国で探偵事務所の設立が許可されている架空の都市『幻影城』。サーカスでナイフ投げを務める葉飛刀は絶対に『当たらない』という特殊能力を買われ超能力探偵事務所にスカウトされる。探偵の心得もなければ推理も絶対に『当たらない』という彼は毎回常識はずれな言動をして同じ事務所の左柔から厳しいツッコミを受けながら、他の事務所のグルメ探偵、障害者探偵、ハードボイルド探偵らと協力して事件に当たっていくうちに街にはびこる謎の犯罪者組織の脅威と対峙する。
超能力を持つ探偵なんてチートじゃないかと思うが彼らの超能力とは自慢できないものばかりなのである。絶対に『当たらない』能力を持つ葉飛刀。彼の『当たらない』能力はあらゆることに発揮され、投げたナイフは絶対に当たらず、選択問題も当たらず、推理も絶対に当たらないため彼が「Aは犯人だ!」と断言することは即ちAが無実だという証明になり、「Bは大丈夫だ」と言えばBに危機が訪れる死亡フラグになる。事務所の中心人物である女性探偵の左柔は『他人の左ポケットの中身がわかる』というなんかいろいろ惜しい能力を持っているが本作ではそれが遺憾なく発揮されるだけではなく、葉飛刀の言動を逆手に取って犯人を見つけ出す頭脳プレーも見せる。少年幽幽は動物と話す力を持っていて動物から重要な証言を聞き出すが人間相手には全く口を開かないので、仲間は彼から情報を引き出すのに苦労する。そして所長の李清湖も何がしかの超能力を持っているはずだが本書では明かされずずっと事務所でお茶を飲んでいるだけだ。
本書ではこれら超能力を推理にアンフェアにならない程度に、あくまでも事件解決の一つのツールとして使用している。決して、葉飛刀に誰が犯人だか推理させて消去法で残った奴を捕まえるなんてことはしない。更に超能力探偵事務所よりも個性的でどこかズレた探偵の面々が登場して各自思い思いに事件の推理を披露し、作品は喜劇的要素に満ちている。その明らかに探偵が多すぎるゴチャゴチャした空間でようやく明かされる事件のトリックはいくつか疑問に思うところがあるものの妙な説得力と真実味があり、事件は意外とスマートに解決される。最終話の犯人が京極夏彦の『陰摩羅鬼の疵』を思い起こさせる常人には理解不能な動機で犯行を行っているが、短編でそこまでの狂人的なキャラを立てられる作者の手腕は見事である。
鏡獄島事件 時晨
上海ブックフェアで手に入れた一冊(右端)。後半にネタバレあり。
精神病院で目を覚ました女は自分の名前すらも覚えていない記憶喪失者で他の患者からは「Alice」と呼ばれているが彼女には彼らと話した記憶すらもなかった。医者に事情を聞こうとしてもここは外界から隔絶された監獄よりも地獄という形容がふさわしい鏡獄島にある精神病院で、ここには人権というものが一切なかった。命の危機を察した彼女は仲間の助けを得て脱獄を試み、病院内で数々の「秘密の通路」を発見する。
一方、前回の『黒曜館事件』を書籍化したことですっかり有名になってしまった探偵で数学者の陳爝とその助手?で小説家の韓晋のもとに唐薇と名乗る女性の刑事から鏡獄島の精神病院で起きた密室殺人事件の調査を依頼される。だが病院ではまた次々と不思議な事件が起き、彼らは精神病院という閉鎖的な空間の捜査で困難を余儀なくされる。
記憶喪失の主人公が精神病院にいると聞けば私のような古い人間は『ドグラ・マグラ』ぐらいしか思い浮かばないが、本作は設定からキャラクターから全て敢えて読者が『どこかで見た』感覚に襲われるように作っているという気がしないわけでもない。
例えば本作を彩る「Alice」の仲間の患者たちはみな重罪人であり、個性豊かなように見えて実際はありきたりである。「佐川」というアダ名の食人鬼は言わずもがな、冷静と激情が同居した「教授」はハンニバル・レクターを想像するし、顔にバットマンのジョーカーのような化粧を施した「密室ピエロ」は作中にまさにその通りの記述がある。更にこの病院自体がバットマンのアーカム・アサイラムのようだと韓晋が唸っている。だがここはアサイラムよりも治外法権で病院の警備隊は患者を制圧するために殺人すら辞さない。
中盤に「Alice」の名前が明らかになる時がこの作品のターニングポイントであり、そこから病院内外問わず全てのキャラに疑惑の目が向けられ、それによって読者の視点は物語最大の謎である鏡獄島から目を逸らされる。鏡獄島がおかしいのは最初からわかることだが、「Alice」視点と韓晋視点では病院の様相が異なって見えてやはり「Alice」には何らかの病気があるのだろうかという疑いが生じ、最後に明らかになる鏡獄島の正体が隠されたままとなる。
本書はミステリ小説家の遊び心にあふれた本格ミステリであるが、幅広い創作テーマを持つ時晨のミステリ読者としての一種の集大成とも言える。
以下ネタバレ
第3回島田荘司推理小説賞大賞受賞作品です。私は台湾繁体字版の原著を読んでから日本語版を読みましたが、日本語版を読んで発見したことも多々あってよっぽど普段の読書で目が滑っているのだなぁと反省しました。
物語は唐突に第12章から始まる。大学生・盧俊彦の隣人の方一家の主人が密室で刺されて倒れていた。部屋には彼の小さな息子しかおらず、ナイフにはその直前に家を訪れた許家育の指紋しか付いていない。
物語はこの惨劇がどういう経緯を経て発生したのかを振り返り一章に戻る。一章や三章などの奇数の章では後に「漫画大王」とまで呼ばれるようになる小学生の健ちゃんの様子が描かれ、二章など偶数章では妻子持ちだがうだつの上がらないサラリーマン姿の方志向が描かれる。一見すると二人とも台湾の一般的な家庭で暮らす平凡な人間で、冒頭の事件だって新聞紙の一隅に書かれるほど地味なものだがこの殺人事件の背後には異常な親子関係が隠れていた。
本書は奇数の章が健ちゃんという子供を中心に、偶数の章が方志向という大人を中心に書かれており、前者は「ですます」口調で翻訳されていて物語風の語り口になっています。これは翻訳者稲村氏のオリジナルであり、原著にはこのような表現の違いは見受けられません。
奇数章の主人公の健ちゃんは母親に内緒で父親からたくさんの漫画を買ってもらっていて漫画に詳しい存在として友達から頼られ、漫画に関する質問なら何だって答えられる知識量を誇り、みんなからは漫画大王と呼ばれていました。しかしクラスにはもう一人、許家育(太っ許)という漫画好きがおり、彼と健ちゃんはことあるごとに喧嘩をしていましたが、ついにはクラス委員長の女の子を巡りどっちが多くの漫画を持っているのか所蔵量勝負をすることになります。
対する方志向は子供の頃のある事件がトラウマとなっていてパッとしない人生を送っており、妻子がいるというのに妻に内緒で勝手に会社を辞めたり、新しい職場では周囲の同僚のランクが高くて自分を卑下したり全然良いことありません。しかし偶然昔の幼馴染と出会った彼は自分のトラウマを克服すべくとある実験に協力します。
いきなり殺人事件が発生する第12章から始まっているということは作者がこれから叙述トリックを仕掛けますと堂々と宣言しているようなもので、健ちゃんと方志向という二人の主人公が一体どこで交わるのかドキドキさせられますが、物語が進展していくと結構常識外れな大仕掛が施されていて果たしてこんなことが現実に可能なのか?と仰天します。
作者が本作は私小説と言っているだけあって当時の台湾の風俗や過去に実際に出版されていた各種漫画が経験者自身による昔を懐かしむ筆致で綴られているのに、突如として出現した大仕掛が物語全体と融和しておらず、ググッとねじ込まれて浮かび上がるこの異様さが本書に流れるノスタルジーを引き裂いて本書をミステリ小説にしています。
現実性を考えるとこの大仕掛を実際に成功させるのはほぼ不可能です。だけどそれはそれで良く、この非常に歪な大仕掛は実行不可能という必須条件をもって叙述トリックを完成させ、単なる一家庭で起きた殺人事件が探偵には垂涎モノのミステリ案件に仕上がるわけです。
このあとネタバレ
これまで100編以上の小説を執筆してきたミステリ小説家・軒弦の代表作・慕容思炫ミステリシリーズの短編集です。このブログ及びコラムではこのシリーズについて紹介したことが有りますが、このシリーズの魅力は神の如く推理能力を持ち、事件があるところには必ずいる神出鬼没性を備えた名探偵慕容思炫にあります。例えば『五次方謀殺』では同じ事件を何度も経験する羽目になった主人公がタイムリープしていることを見破ったり、以前の短編集『密室不可告人』ではホテル、映画館、無人島など縦横無尽に出現したりして名探偵としての力を発揮しています。そして本作でもその魅力は健在で非常にハイレベルな探偵能力を披露してくれます。
1話目は逆転裁判のパロディ『逆転法庭』。慕容思炫シリーズではお馴染みの敏腕弁護士・諸葛千諾が殺人事件容疑者の弁護を担当することになり証人の嘘を暴き検察と渡り合う法廷劇で、事件の証人として慕容思炫を召喚します。
2話目の『QQ神秘事件』は中国版Skype「QQ」で死んだ彼女から連絡が来るというホラーめいた話です。彼女に双子の姉妹がいてそれが彼女を騙っているのでは?とまで突き止めた彼氏と探偵の前に生きた彼女が現れます。
3話目は『摘星者』といい同名の義賊が活躍する話です。本作では慕容思炫は出ません。私はわからなかったのですがこの摘星者は慕容思炫の敵か味方で本作はその外伝的な話になのかもしれません。
4話目の『迷失的視点』は『慕容思炫』が自分の父親の冤罪を晴らすために子どものときに起きた事件を洗い直す話ですが、事件の概要が明らかになるうちに『慕容思炫』自身の正体が曖昧になるという真相が掴みにくい話です。
この4話を私はどこかで読んだ記憶があるのですが、『推理世界』でしょうか、それとも何かの短編集だったでしょうか。
ネットを調べてみると本書には諸葛千諾と摘星者の初出の話が掲載されているようです。つまり本書は慕容思炫シリーズの入門書のようなものでしょうか。
慕容思炫シリーズもしくは軒弦の作品は最後まで気の抜けないどんでん返しがあるのが特徴です。真相が明らかになったと思いきや更にその裏があるので、読者は事件の被害者だろうが協力者だろうが全てを疑ってかからないと足元をすくわれます。