本書には表題作『二律背反的詛呪』の他に『雪地怪圏』(雪原のミステリーサークル)、『聖誕夜的詛呪』(クリスマスイブの呪い)、『利馬症候群』(リマ症候群)の4つの短編が掲載されている。
『雪地怪圏』は2009年に、『聖誕夜的詛呪』は2010年に『歳月推理』誌上に掲載された作品です。『二律背反的詛呪』も2009年に前述の雑誌に掲載されましたがその後ネット小説サイト『雁北堂』にも連載されました。そして『利馬症候群』は自費出版という形で2015年に世に出ています。
要するに6、7年越しのかなり遅れた短編集ということでしょうか。ちなみに『利馬症候群』と同時に出た『偵探前伝』には中国語翻訳者の稲村文吾氏の後書きが中国語で書かれています。
『雪地怪圏』は雪原に描かれた巨大なミステリーサークルの隣で被害者が倒れており、一体犯人は何の目的でそんなことをしたんだ?というハッタリの効いた作品です。
『聖誕夜的詛呪』は別にクリスマス死ね死ね団が活躍する話じゃなく、『神』を名乗る狂人が有名人の死を次々と予言し最後は自分自身を殺し、翌日予言の内容が全て現実になっているという話。あまりも突飛で実現不可能な話に読者はきっとすぐに清涼院流水の『コズミック』を思い浮かべるでしょうが、オチに至るまでの過程がひと工夫施されている。
これら2つに関してはおぼろげながら内容をまだ覚えていたので『熊猫らしいなぁ』以上の感想を出しようがなかったです。
しかし『二律背反的詛呪』は良いくどさが出ていました。新作だと思ったぐらい面白かったです。これは足の不自由な青年の部屋で首無し死体が発見されるという入れ替えトリックを連想する出だしから始まりますが、死体の状況が違和感だらけということが明らかになります。被害者の身元をわからなくするために頭部を切断したのなら何故彼の自宅に死体を放置したのか。調べればすぐ身元がわかるのに障害のある青年の足をわざわざ傷付けたのは何故か。青年が生前と死後で服が違うのは何故か、など犯人のちぐはぐな行動に頭を悩まされる作品です。
それらを解決するのが流浪の探偵・御手洗濁(御手洗潔のモデルで島田荘司とも交流があるという設定。)。本書でも当然のように事件現場にいて、浮浪者同然の子汚い格好で警官の鮎川天馬に食事をたかったり金を無心をしたりしてとにかく格好良さは皆無です。それに作者もこの探偵をアウトローやハードボイルドとして描いておらず、御手洗濁というキャラクターそれ以上でも以下でもない存在に過ぎません。
前3作品は熊猫らしさが出ていてそのトリックの再現性はともかく評価に値する作品でしたが、最後の『リマ症候群』は正直なところ読んでいてまったくピンと来ませんでした。この作品のみ御手洗濁が出て来ず、また舞台も日本ではなく中国であるため純粋な御手洗熊猫のオリジナル作品とも言えるのですが、輪郭のぼやけた出来になっているのは単に主人公の不在が原因だからでしょうか。
話は誘拐犯グループの下っ端である男が誘拐した女性の世話をする中で彼女に好意を抱き(これをリマ症候群と言うらしい)、一緒に脱走するために自分がこの誘拐には参加していなかったアリバイを作ろうと知恵を振り絞るという内容です。
今までの熊猫作品とは明らかに一線を画しており、前3作品と同じ気持ちで読むとつまらないという感想を受けます。これ、同じ本に収録したのは失敗だったんじゃないでしょうか。
熊猫はとにかく短編のストックがありますから2017年も2冊ぐらい出るかもしれません。それ自体は歓迎しますが構成をもう少し考えてほしいです。
昔は日本を舞台にしたパロディミステリーを取り扱ってくれる中国の出版社がなかったから自費出版の道を選んだ熊猫ですが、今は状況が進展したとは言え、完全オリジナル作品はまだ単体で売れないから御手洗濁シリーズとくっつけて販売するしかなかった事情が垣間見えます。まぁただの妄想ですが。
第4回カバラン・島田荘司推理小説賞受賞作。2013年に中国で起きた実在の事件をもとにした作品だが、本書最大の見どころはその事件を調査することではない。
全盲の馮維本はドイツ人夫婦に養子として迎えられ、名前をベンジャミンと改名し幼少期からドイツで暮らしていた。だが「男児眼球くりぬき事件」をきっかけに中国行きを決意。養父母の心配を億劫に思いながらICPOである温幼蝶とともに中国へ渡る。だが現地では事件の捜査を邪魔するかのような出来事が立て続けに起こり、ベンジャミンは第三者の存在に気付く。
おそらく日本でも報道されたであろう「男児眼球くりぬき事件」とは、2013年8月24日の晩に山西省の村で6歳の少年がよその土地の言葉を喋る女性に話しかけられ山に連れ出されたところ両目をくりぬかれたという事件である。
子どもの目をえぐりとるという悲惨な事件に世論が沸き、警察も犯人逮捕にやる気を見せて10万元の懸賞金をかけたが事件は思いがけない形で決着する。
8月30日に少年の伯母である張会英が井戸へ飛び降りて自殺をしたわけだが、9月3日にその伯母が犯人であることが警察から発表された。
参考:被害少年に関する百度百科
この事件の最大の謎は少年の証言と犯人像が微妙に食い違っている点だ。まず、少年いわく犯人はよその土地の言葉を喋ったとあるが、これはつまり犯人がこの土地の人間ではないということを表す。また、少年と伯母は同じ地区に住んでいないとはいえこれまで数回顔を合わせており伯母のことは知っていたはず。
他にも多くの謎がある事件だが一応犯人は伯母のまま被疑者死亡で決着した。
まず注意したいのがこの作品は現実に起きた「男子眼球くりぬき事件」の新たな犯人を見つけ出して当局の捜査に疑問を投げかけたり社会に真犯人の存在を訴えるという作品ではないということである。
犯人の正体や動機などが作中で語られるがそれはあくまでもフィクションであり、インパクトはあっても結局作品のメインではない。では作中一番の謎は何かというと主人公○○自身にある。振り返ってみると○○の身の周りには不思議な出来事が起こっており、○○には何か大きな秘密が隠されているのだろうと考えられなくもない。しかし彼自身が盲人ゆえに読者も彼を通じた情報しか入ってこないからなかなかその謎にはたどり着けないのだ。
本書『黄』は簡体字版だが2015年に既に繁体字版が出版されている。そして今年簡体字版が出るという段になって表紙デザインがネットに発表されたのだがそれが中国人読者の大不評を買った。そして現在出版されたデザインへと変更されたというわけだが、ではボツを食らった表紙は一体どういうものだったのか繁体字版と比較して見てみよう
簡体字版ボツバージョン
繁体字版
黒字に黄色の一文字が映える繁体字版のシンプルなデザインは大陸でも評価されている。「それに比べてうち(大陸)の表紙はなんだ」と読者をなおさら落胆させた簡体字版の表紙が上のもの。黄色い下地に両目が描かれ、片方の目が手のようなもので覆われていて左下には犬のような動物がいる。全体的にうるさい感じがしてのっぺりしている。
そして現在の表紙となったわけだがやはり情報過多のような気がする。比較対象となる繁体字版という優秀な見本が既にあるからどんなデザインになったとしても見劣りしてしまうのはしょうがないが、表紙がダサいから簡体字版は買わないと言う読者も存在するかもしれない。中国ミステリーは表紙の段階から読者の評価がはじまるのである。
軒弦といえば神出鬼没の名探偵・慕容思炫シリーズが有名だが本作では女と見紛うほど美しい美少年・葉泫然が活躍する。いわば軒弦の新しいシリーズなのだが時代が10年以上前の2000年代に設定されているし、ライバルのような天才犯罪者も1話しか登場しなくて消化不良だし、何故今更こんな本が出版されたのかわからず、謎が拭いきれない一冊だった。
収録作品は三つ。孤島を舞台にした『天極島謀殺檔案』、山荘の復讐劇『李氏山荘謀殺檔案』、学生恋愛から発展する殺人事件『QQ亡霊謀殺檔案』、そのどれにも密室殺人が使われている。よくもまぁ密室殺人の手法がポンポン浮かぶなと感心するが、あまりに多くの作品を書いているため粗製濫造の感が否めない。
特に3つ目の『QQ亡霊謀殺檔案』にはその感覚を強く抱いた。これは、自殺した彼女と毎晩QQ(中国版メッセンジャー)でチャットをするというホラー小説的な切り口から人間関係が極端に発展して密室殺人事件に至るという話なのだが、この死んだ彼女からQQで連絡が来るという点はまさに2016年6月に出版された『神探慕容思炫・審判』にある『QQ神秘事件』とそっくりなのである。その理由こそ異なっていたが短期間で同じネタを使った作品を読んでしまうと読者としては芸がないなと思ってしまうのも無理はない。ただし軒弦は多作過ぎて、例え新刊であってもその収録作品が以前書いてようやく単行本として出たというパターンが多いから、二作の執筆時期は離れているかもしれない。
注:作者軒弦によると本書に収録されている作品はみな2004年に書いたものらしい。中国の本って初出書いてないからなぁ…
また、本作の時代設定も何故わざわざ過去に設定しているのか意味がわからなかった。各話の冒頭にわざわざ「2002年2月9日」など日時を書いているのだからきっと意味があるのだろうが、それは本書を読む限りわからない。誰もが少女と見間違える美少年・葉泫然も2016年現在は30歳過ぎの中年という事実をもって作者は何を伝えたいのだろうか。
あと、軒弦は慕容思炫シリーズの中で怪盗やら天才犯罪者やら多くのキャラを生み出し、本作でも遊一悔という『金田一少年の事件簿』で言う高遠遙一キャラが出てくるのだが今現在どういう状況になっているのかわからないので、一度年表及び人物相関図を作ってまとめてほしい。
大学入試を控えた高校の教員寮で教師が殺されるという学園モノなのかよくわからないジャンルのミステリ。表紙にデカデカと描かれている『2』はタイトルに含まないらしい。
高校の教員寮で物理教師の徐玉階が首無し死体で発見される。この高校の卒業生である若手刑事の寧微君は恩師である魏書平にかけられた嫌疑を晴らそうと躍起になるが、現場主義のロートル刑事・胡宏斌に水を差されたり窘められたりで活躍できない。事件当時の夜に校内にいたミステリ小説好きの女子生徒・易雨晨、捜査に首を突っ込んでくる探偵ぶった男子生徒の林昱が事件にどう絡んでくるのか。それは徐玉階の本性を知ったあとに明らかになってくる。
中国ミステリでもキザで自信満々な探偵と常識人の助手、突飛な行動を取る探偵とそれに振り回される刑事など探偵が優勢の組み合わせはいくらでもあるが、経験豊富で頑固な老刑事と若さとやる気と知識だけはあるミステリ小説好きの若手刑事という本書のような組み合わせは新鮮だった。
読み始めたときは胡宏斌がずいぶん横暴な中年に見えたが、読み進めていくと上司に減らず口を叩き、上司をおじさん(大叔)と呼び、捜査に私情を挟み若さ故の暴走をする寧微君の方がよっぽど厄介者に思えてくる。そして同類であるミステリ小説好きの林昱を寧微君が煙たがり、高校生の名推理を前にして自身が胡宏斌から言われた「現実と小説は違う」というセリフを吐くのは本当に面白い。
途中で林昱が寧微君に犯人が首無し死体を作った謎に対し8つの説を唱えるが、これが読者に事件を整理させる良い中間地点になっている。何故犯人は調べたらすぐに身元がわかる状態の死体からわざわざ頭を持ち去ったのかという謎に対し、本当の死亡理由を隠すためだという林昱の答えは納得できるものだが、本書を最後まで読むとそれが単なる読者サービスではないことに気付かされる。
タイトルに『悪意』とあるように本書には徐玉階を始めとする人間の生理的嫌悪感に基づく気持ち悪さが描かれている。特に作者はきっと意図していないだろうが易雨晨の父親なんかには山本英夫の『新・のぞき屋』の父親を思わせる独善的なおぞましさすら覚えた。
作者の胡正欣は昔は「Kenshin」や「寧夜」というペンネームで活動していたそうだが、昔作品を読んだことがあるだろうか。本書が初の長編作品だと聞くが、初めてでトリックも人間模様もこれほどのものを書いているのであれば次作もきっと面白いだろう。できれば胡宏斌と寧微君のような一筋縄ではいかないコンビを再び出して欲しい。
帯に『島田荘司監修の『本格ミステリー・ワールド』における中国大陸唯一の寄稿者』というキャッチコピーがついていて島田荘司のネームバリューの強さを実感させられる。しかし、『中国大陸在住』という括りなら自分もその寄稿者であるということを主張したい。
あと、現物が手元にないのだが『本格ミステリー・ワールド2010』には中国の書評家・天蠍小猪が『中国ミステリー事情』を書いたとある。(参考:https://book.douban.com/subject/4143147/)。ちなみに河狸は2014年版に寄稿している。
正義感は強いがそれ以外は普通の女性である高梅儀は暴漢に襲われているところを何者かに助けられるという不運な事態が続いた。子どもの頃に死んだ『姉』が助けてくれたことをぼんやりと覚えていたが、ポケットに血塗れのハサミが入っていたことで映画『ファイトクラブ』のように自分の中に『姉』というもう一つの人格がいて、それが暴漢を退治したのではと疑う。そして突如部屋に現れた『姉』は正真正銘子供の頃に死に別れた姉である高梅思の成長した姿だった。その『姉』から自分が多重人格者であることを告げられた高梅儀は『姉』の師事のもと、アメコミヒーローのバットマン(蝙蝠侠)やスパイダーマン(蜘蛛侠)のように剪刀侠として街を守ることを定められる。
剪刀侠は英語にすると「シザーマン」となり、日本語にすると「ハサミ男」となるわけだがどっちにしろ既存の有名作品のイメージが強いのでここでは原文の剪刀侠のままとする。
あらすじで「映画ファイトクラブのように…」と書いてしまっているがこれは本作でも平然とネタバレしているので許して欲しい。でも主人公の高梅儀は推理小説が好きという設定だと言うのに、二重人格で剪刀侠という名前を与えられた身でありながら殊能将之の『ハサミ男』(中国語タイトル:剪刀男)について作品内で全く言及していないのは不思議だ。作者なりに推理小説家としての仁義を通しているというわけだろうか。
本書は8作の短編からなる。剪刀侠は日夜街の悪人を退治するわけだが第1話で連続殺人鬼を捕まえて、『姉』の正体が判明してからは世間に認知された剪刀侠が連続殺人事件を解決するという探偵的な役割を負い、警察からも友好的に接されて共闘関係を持つ。
「犯人が実は××でした」という叙述トリックが2つもあるのがちょっとくどかったが、それより『姉』の正体を第1話でバラすのがとても勿体無いと思った。しかし、もともとは雑誌『推理世界』で掲載されていた作品であるので読者にインパクトを与えるために仕方のない展開だったのだろう。最初から書き下ろしの長編だったらまた違っていたのかもしれないが、『姉』の正体を見るにかなり無理な構成になりそうだ。
いろいろ突っ込みたいところがあったが世間に知られる正義の味方であり、その功績によって警察からも活動が黙認されるという新しい探偵像を生み出したところは評価したい。
だが日経ビジネス10月28日分の『中国・キタムラリポート』に取り上げられた『横暴な権力者を殺害した男の死刑は止められるか』を読むとヒーローが倒すべき相手は街ではなく別の場所にいて、公的機関に認められたヒーローなど単なる警察の犬だなと虚しい気持ちに陥ってしまった。