いつもの歳月・推理なら物語性のある抽象的な絵を表紙にしていたのに、アガサ・クリスティ特集号の今月に限ってやたらミステリ雑誌らしく、全然歳月・推理らしくない。
掲載陣には林斯諺、Spring、徐俊敏、午曄、御手洗熊猫という人気作家を揃え、そして表題にもある通りアガサ・クリスティを置いており盤石の体制である。
林斯諺は第一回島田荘司小説賞に入選しており、徐俊敏は去年12月に長編推理小説《無尽之休止符》を出している。アガサの作品は名探偵ポアロ初登場の《“西洋の星”盗難事件》だ。
どの作家の作品もレビューのしがいがあるが、やはり今回も御手洗熊猫の作品を取り上げたいと思う。購入したばかりなので彼のしかまだ読んでいないだけだが…
中国に入国した外国人は原則として24時間以内に各地区に存在する派出所に行き居住証を申請しなければいけない。
これは中国の法律で決められていることで、中国に滞在したことのある外国人ならばみな知っている常識だ。
先週土曜日に北京に戻ってきたボクも例外ではなく、翌日曜日に直ちに派出所へ向かわなければいけなかったのだが昨日の今日で行ける気分にはなれず後回しにしてしまい、気が付いたら入国から一週間が経とうとしていた。
しかし今日こそは重い腰を上げねばいかなかった。
だって公安が乗り込んできたんだもの。
このライドノベルがすごい!文庫なんて名前負けにもほどがあるだろなんて小馬鹿にしていたが、久々購入したラノベが思いもよらず傑作だった。
才能はなく、お金もなく、だが働きたくもない。ないない尽くしのダメ大学生柏木は、食料を求めて入り込んだ山の中で奇妙な遺跡を発見する。遺跡の中で出会った少女が持つ、凄まじい詩の才能を目の当たりにした彼は、彼女をデシ子と名づけ、妹として自分の家に住まわせ始める。
本書裏表紙のあらすじから
主人公柏木は小樽商科大学へは行かず無為徒食をし、友人から金をせびっては人の奢りで飲みに行こうと考え、自分は詩人だからというプライドだけを頼りにバイトもしようとはしないダメ大学生、というよりクズ人間である。彼が拠り所としている詩も酷いもので、読む者聞く者一人残らず卒倒させるほどの公害レベルな詩才だ。
ある時遺跡の中で詩を朗読した彼の目の前に身元不明の少女が現れる。少女は柏木の詩に共感しこんなに感動したのは初めてだと彼を天才とあがめる。そして自分も詩というものを詠んでみたいと即興で吟じれば、少女の口から紡がれる言葉の奔流は例えようのないほど美しく、柏木ですら号泣し感動のあまり失神した。
そして柏木は彼女をデシ子と名付け自分のことを師匠(人前では兄)と呼ぶように教えて、迷子を保護するという名目で自分の家に連れて帰る。デシ子の才能に目を付けた彼は彼女の詩才を使って小樽の観光客相手の金儲けを企むのであった。
冬の季節に帰国したことだし久しぶりに札幌雪祭りを観に行った。
ボクが大学に在籍していた頃と比べて心なしか外国人観光客の数が増えているような気がした。とりわけ中国人(北京語を話さない団体)の姿が目についた。
札幌市の一大イベントには日本全国のみならず多様な文化圏から外国人が観光に来る。それを配慮してなのか雪祭り会場の入り口には『不愉快な行動を慎むように』云々の立て札が立てられていた。
しかし雪祭り会場である大通公園の一角は今年も北方領土返還の署名活動の場所になっていた。
この署名活動は毎年必ず、少なくともボクが札幌にいたときは毎回あったように記憶している。2月7日が北方領土の日となっているから雪祭りと日程が重なってしまうのだろうが、この日に近い日取りを選んで雪祭りが開催されているようにも思える。
北海道に生まれた身として北方領土問題は小さい頃から教わっていたし、返還運動も間近で見てきた。だから一通り署名活動の必要性も理解はしていると思うのだが、領土問題というデリケートな事柄をよりにもよって外国人が集まる祭の会場で想起させなくても…と雪の中署名を呼び掛ける彼らに非難じみた視線を送ってしまう。
雪祭り自体は期待に溢れた観光客の目に適うものばかりだった。しかし去年流行ったタレントやワンピースといったメジャーアニメの雪像に混じった初音ミク雪像が一般人にどういう受け取られ方をしているのかが不安だった。
毎年『ぷよぷよ』の雪像を展示している常連・チームびっくり魔導人間
雪祭り会場の入り口である大通公園1丁目の横断歩道付近に、プラカードを首にかけたルンペンみたいなオッサンが立っていた。プラカードには細かい文字がびっしり書かれており遠目からでは汚れにしか見えない。かろうじて断と雪という漢字が見えたので、てっきり札幌の除雪作業に文句を言っているのかと思ってオッサンの横を通り過ぎようとしたらプラカードには北方領土に関する文句が羅列していた。
会場には入れないこのオッサンと、大通公園の一区画を使っている団体に何の違いがあるのだろうかと考え、どっちも迷惑だという共通点しか見出せなかった。
神経質な人間ほど気に病む事件と日常的に遭遇する。
北京行きの飛行機の中で、日本にいながら海外旅行の洗礼を受けた日本人一家の母親に妙な気を揉まされた。
ボクの前に座っている一家の母親は座席が窮屈なことに不満を漏らしていて、「うしろの席は空いているのに」と娘たちに呟いている。後ろというのはボクが座っている席のことだ。
あまりにも早く搭乗手続きを済ませたからなのか、ボクに割り当てられた座席の窓際・真ん中・通路側の3席のうち、2席が空席だった。
他人に気兼ねせず寝られるだろうと思いきや、荷物入れを中国人観光客の団体に制圧された機内はこれを喜べる状況ではない。
座席が空いているのは空港側のはからい、というか席決めが疎かなだけなのだが狭い席に詰め込まれた乗客にはそうは見えない。自分が苦しい思いをしているおかげで、コイツは広々とした空間で寛いでいられるというとんでもない逆恨みを抱かれることもある。
少なくとも、前に座っているオバサンの文句の矛先は針の先ほどボクに向けられているように聞こえた。
文句や怒りってのは飛び火するものである。