神経質な人間ほど気に病む事件と日常的に遭遇する。
北京行きの飛行機の中で、日本にいながら海外旅行の洗礼を受けた日本人一家の母親に妙な気を揉まされた。
ボクの前に座っている一家の母親は座席が窮屈なことに不満を漏らしていて、「うしろの席は空いているのに」と娘たちに呟いている。後ろというのはボクが座っている席のことだ。
あまりにも早く搭乗手続きを済ませたからなのか、ボクに割り当てられた座席の窓際・真ん中・通路側の3席のうち、2席が空席だった。
他人に気兼ねせず寝られるだろうと思いきや、荷物入れを中国人観光客の団体に制圧された機内はこれを喜べる状況ではない。
座席が空いているのは空港側のはからい、というか席決めが疎かなだけなのだが狭い席に詰め込まれた乗客にはそうは見えない。自分が苦しい思いをしているおかげで、コイツは広々とした空間で寛いでいられるというとんでもない逆恨みを抱かれることもある。
少なくとも、前に座っているオバサンの文句の矛先は針の先ほどボクに向けられているように聞こえた。
文句や怒りってのは飛び火するものである。
札幌駅地下のレストラン街に『おの』というカレー屋がある。スープカレーがブームになったときも平凡なルータイプのカレーを作り続けた、洋食屋風のカレーライスを食べさせてくれる老舗風の店だ。
札幌にいたときは駅に用事があるたびに寄っていた店で、大学時代の思い出のレストランでもある。北京に帰る前に久しぶりに食べようかと当時からの友人と二人で行ったのだが非常に気まずい思いをした。
昼時で賑わう店内にはキッチンと向かい合わせカウンターにしか空席がなかった。サラリーマンや観光客の席の後ろを恐る恐る通って座り、ボクが頼んだのはメンチカツカレーの激辛。
そこでやってきたカレーが全然辛くない。心なしかライスの量も少ない気がする。そしてしばらくしたらキッチン(目の前)でコックと従業員のオバチャン同士の言い合いが始まった。
「メンチの激辛どうしたの?まだ作ってないでしょ」
「いやコッチに注文来てないけど」
「じゃあなんで伝票あんの?」
「間違ったんじゃないの?」
「でも伝票があるっておかしいでしょうが。Sサイズのメンチはできてるでしょ」
つまりボクが食べている全然辛くなくてちょっと小さめのメンチカツカレーは店員が間違えて持ってきたものなのだ。
それでも別に構わないのだが店員同士の小言を聞かされながら食べているとだんだん、間違いに気付かないお前が悪いと遠回しに糾弾されているような気分になり、思い出のカレーが全然美味しくなかった。
世の中デリカシーに欠ける人間の多いことと言ったらない。そのほとんどが悪意ではなく配慮のなさに端を発しているから余計始末が悪いのだ。
しかしマーフィーの法則に『一つのことに神経質な人間は、他のことに大雑把だ』という言葉があるとおり、ボクもどこかで誰かに迷惑をかけていることを考えれば、してやったりという晴れやかな気分になるのだ。