遣唐使の口癖のせいでツイッターでバズってしまった作品。ただ読み通しても遣唐使は驚くばかりでろくな活躍が与えられていなかった。
則天武后の時代、宮中で「猫鬼」騒動が発生する。猫の妖怪の大群が銀十万両を積んだ車を奪い去り、猫鬼を飼育していたと噂される男が動物に襲われたかのような惨殺死体で見つかる。さらに宮中の壁には、則天武后に惨たらしく殺された蕭淑妃が遺したとされる「貴様が鼠なら私は猫になる」という呪いの言葉が浮かび上がる。呪いこそ信じていないものの、何者かが則天武后の命を狙っていると考えた御史の張鷟は狄仁傑の孫の狄千里、遣唐使の粟田真人らとともに妖怪退治に挑むが、怪異の裏には恐るべき権力闘争があった。
則天武后の在位中なので、正確には唐ではなく武周の時代だ。だから粟野真人も「遣唐使……いや、遣周使の粟野真人です」と自己紹介している。則天武后がトップにいることも事件が起きた原因なので、「唐」とひとくくりにするのはちょっとためらわれるが、面倒なのでここでは唐と統一したい。
中国妖怪研究家である著者の張雲によると、「猫鬼」、つまり猫の妖怪は中国の法典に唯一記載された妖怪であり、『唐律疎議』には「猫鬼を飼育したりこれを操った者は絞首刑に処す」とあるそうだ。そんなものの実在が信じられていた時代、探偵役の張鷟の役どころは謎の解明以前に、この怪異は人為的なものだと証明すること。しかも依頼主はあの則天武后なのだから、プレッシャーが半端じゃない。
しかも悪いことに、猫鬼事件が残した数々の証拠が、則天武后の実の息子で、即位後わずか数ヶ月で退位させられた李顕を指しているものだから、老境に入って曖昧な状態の則天武后が、息子がクーデターを目論んでいるという妄想に囚われるのも仕方のないこと。だから張鷟は、李顕が処刑される前に彼の無実を証明しないといけなくもなり、とんでもない高所での板挟みにさいなまれる。探偵が依頼人に平身低頭しながら容疑者の無罪を主張するのは封建社会でしか見られない光景だろう。
魑魅魍魎が信じられていた頃の風習、まだ太平の世とは言いがたい国内環境、さまざまな人種が入り乱れる最先端都市長安といった当時の中国ならではの謎と推理が楽しめる一冊。特に、歴史の裏付けがあるから許されているのだろうが、特定の人種を犯罪者(しかもクーデター首謀者)として扱うのは、今の中国の出版業界では絶対NGだろうから、まさにこれは時代ミステリーならではの役得だ。
またこの作品では、則天武后◯◯説が提唱されていて、まぁ100パーセント作者の想像に基づくフィクションなのだろうが、あの残虐苛烈な女帝の晩年をいっそう哀れなものとして、彼女を人間らしく描こうとした著者の優しさが垣間見られる。
ところでこの本、序盤では特に著者の妖怪への考え方があけすけに書かれている。猫鬼の群れを見た粟野真人が「我が国ではこれを百鬼夜行と言います」と説明した際、張鷟はそれを一笑に付し、「いやいや粟野くん、いわゆる百鬼夜行とは中国が起源なのだよ」とテコンダー朴構文をかます。
この張鷟の言葉こそ、著者が言いたいことではなかったのか。実は著者は以前、どこかのインタビューで、「妖怪」はもともと中国のものだったのに今ではすっかり日本の文化として世界に広まっていることを歯がゆく思う気持ちを吐露していた。つまりこの言葉は、外国人の間違いを指摘しているように見え、中国の文化や歴史を十分に知らない自国民への批判だったのではないか。
著者は本書を通じて、中国の妖怪文化をもっと世に広めたかったのだろうが、だったら本書を妖怪ミステリー小説ぐらいに留めてほしかった。なにせ唐を舞台にして則天武后や李顕ら実在の人物が次々に出てくるのだから、歴史小説的な側面が出てくるのは避けられない。だから本書は正確に言うと、妖怪歴史ミステリー小説だ。疲れるから、次回作は歴史成分薄くしてほしい。