ボクは常日頃、ホラーとギャグは紙一重だと考えていて、両方かける漫画家や小説家を尊敬しています。
楳図かずお、伊藤潤二、『震える血』シリーズの作家方。
中でも楳図・伊藤両先生の漫画はボクにとっては格別です。お二方のホラー漫画の少しでもバランスを崩せばたちまちギャグになってしまう危うさがたまりません。
楳図先生の、『ぎゃーっ』と叫び無表情で凶行に及ぶキャラクターは迫真に迫り過ぎていて恐ろしいんですけど何回も読み返すとツボに入って笑っちゃうんですよね。特に『漂流教室』のママなんかは怖すぎて面白いです。
伊藤先生はストーリー展開がもはやギャグですからね。起承転結の奇天烈さとオチのブン投げぶりはもう素敵の一言です。ページがベタで血みどろで、人がバタバタ死んでいくのにホラーとしては致命的なぐらい後味の悪さがなくて、代わりに『?』が残る展開には無意識な笑いがこみ上げます。
もちろん全ての漫画が笑えるわけではありません。多くの作品の中に偶然的にホラーとギャグが同居している作品があるんです。
僕がお気に入りは楳図先生のなら『モクメ』と『ROJIN』がホラーとしても純粋な物語としても好きですし、伊藤先生なら原作付きですけど『フランケンシュタインの怪物』が原作の怪物の哀れさを垣間見せる描き方をしていて良かったです。
他には犬山加奈子先生や日野日出志先生の漫画にもギャグが潜んでいて良いのですけど、最近の漫画家になるとちょっとよくわかりません。
楳図先生の真似をした山咲トオルや『しょこたん』こと中川翔子は楳図先生のギャグ面ばかり強調していて駄作ばかりです。先生のはギャグとホラーが同居、と言うよりホラー漫画にギャグが無断住宅しているのが面白いのに。
押切蓮介先生はヤンマガ誌上で『でろでろ』というギャグ漫画でデビューした、もともとホラーギャグ畑出身の漫画家なんですけど、最近の『ゆうやみ特攻隊』や『ミスミソウ』などを見ているとサイコホラーに移行したようです。
『でろでろ』は大まかに言えば、普通なら反抗不可能で絶対的な力を持っているお化けを拳でぶん殴って退治するというギャグ漫画です。
しかし『ゆうやみ』はそれとは毛色が違います。『ゆうやみ』の主人公側が直情的な暴力とすれば、敵側には陰惨で圧倒的な暴力が存在しています。『ミスミソウ』は美少女がいじめっ子に復讐するというお化けが出てこない話なのですが、その虐めも凄まじければ復讐方法も苛烈すぎて全然スッキリしない読後感になっているんです。
同じ作家が種類の違う暴力を描いている。その奇妙さが読者に与える影響は決して薄いものではありません。
例えばこの風景。
流美も妙子も、戻れない。
・・それにしても、妙子強いッ!
流美の奇襲包丁刺突を回避、足払い。
素手でナイフ持ちに勝てる女子中学生!
・・普通にナイフ携帯してるし。
次回、妙子vs流美
ガチの刃物で殺し合い。
『でろでろ』なら例え刃物を持っていても『ボカスカボカ』っていう擬音や『一発パンチKO』で誤魔化されるのに、『ミスミソウ』はその光景を見せるんですよ。それで、『でろでろ』ならこうなるのに、とタイミングをずらされた暴力にゾワゾワさせられるんです。
そんな法則を乱されている感覚が終始付きまとっていて、直接的なストーリーとは別なところの奇妙さに体がゾクゾクするんです。
しかしこういう趣旨変えは当然失敗する恐れを孕んでいます。
例えば、『セクシーコマンドー外伝!すごいよマサルさん』の次に発表された『武士沢レシーブ』は最初はヒーローギャグ漫画だったのに後半は敵側の心理も描き、シリアス部分に依っていたことが仇になって打ち切られてしまいました。
『ゆうやみ』も『でろでろ』の特徴を引きずって、凶悪な悪霊と対決するだけの話だったらきっと『黒首島』編前に打ち切られていたでしょう。悪霊を信仰している狂った人間たちと戦うのが面白いのです。
ギャグとホラーの棲み分けに成功し、読者に違和感を植え付けた押切先生と『ゆうやみ特攻隊』と『ミスミソウ』の展開に目が離せません。
しかし、中国在住のボクが『ミスミソウ』を読める日はいつになるのでしょうか……