鏡獄島事件 時晨
上海ブックフェアで手に入れた一冊(右端)。後半にネタバレあり。
精神病院で目を覚ました女は自分の名前すらも覚えていない記憶喪失者で他の患者からは「Alice」と呼ばれているが彼女には彼らと話した記憶すらもなかった。医者に事情を聞こうとしてもここは外界から隔絶された監獄よりも地獄という形容がふさわしい鏡獄島にある精神病院で、ここには人権というものが一切なかった。命の危機を察した彼女は仲間の助けを得て脱獄を試み、病院内で数々の「秘密の通路」を発見する。
一方、前回の『黒曜館事件』を書籍化したことですっかり有名になってしまった探偵で数学者の陳爝とその助手?で小説家の韓晋のもとに唐薇と名乗る女性の刑事から鏡獄島の精神病院で起きた密室殺人事件の調査を依頼される。だが病院ではまた次々と不思議な事件が起き、彼らは精神病院という閉鎖的な空間の捜査で困難を余儀なくされる。
記憶喪失の主人公が精神病院にいると聞けば私のような古い人間は『ドグラ・マグラ』ぐらいしか思い浮かばないが、本作は設定からキャラクターから全て敢えて読者が『どこかで見た』感覚に襲われるように作っているという気がしないわけでもない。
例えば本作を彩る「Alice」の仲間の患者たちはみな重罪人であり、個性豊かなように見えて実際はありきたりである。「佐川」というアダ名の食人鬼は言わずもがな、冷静と激情が同居した「教授」はハンニバル・レクターを想像するし、顔にバットマンのジョーカーのような化粧を施した「密室ピエロ」は作中にまさにその通りの記述がある。更にこの病院自体がバットマンのアーカム・アサイラムのようだと韓晋が唸っている。だがここはアサイラムよりも治外法権で病院の警備隊は患者を制圧するために殺人すら辞さない。
中盤に「Alice」の名前が明らかになる時がこの作品のターニングポイントであり、そこから病院内外問わず全てのキャラに疑惑の目が向けられ、それによって読者の視点は物語最大の謎である鏡獄島から目を逸らされる。鏡獄島がおかしいのは最初からわかることだが、「Alice」視点と韓晋視点では病院の様相が異なって見えてやはり「Alice」には何らかの病気があるのだろうかという疑いが生じ、最後に明らかになる鏡獄島の正体が隠されたままとなる。
本書はミステリ小説家の遊び心にあふれた本格ミステリであるが、幅広い創作テーマを持つ時晨のミステリ読者としての一種の集大成とも言える。
以下ネタバレ
さて今作は磁力を使って凶器を操る殺人が描かれるがリアリティは置いといてその手法が科学的であるにも関わらず、私にはこれが海野十三の小説に出てくる超科学的なトリックのようだと思ってしまった。この前近代の人間が想像する最先端科学技術を使ったかのような犯罪を時晨が故意に書いて読者に古臭い印象を与えているかは定かではない。
終盤で鏡獄島が実は二つあるという驚愕の事実が明らかになる。島のどちらにもほぼ瓜二つの精神病院が建てられているため、「Alice」がA島にいて陳爝と韓晋がB島にいても「Alice」だけが秘密の抜け道のあるA島の病院にいたために脱出でき、韓晋は同じような状況にありながら抜け道などないB島の病院で悪戦苦闘するしかなかったのだ。この「実は同じ建物が2つあった」という大掛かりな仕掛けもやはりどこかで見たようなデジャブを感じる。
だがそれで本作が二番煎じであるとは言えず、むしろ作者の好きな要素を詰め込めるだけ詰め込んでストーリーに破綻をきたしていない力作と言える。
また本作の重要人物と思えた『密室ピエロ』は最後まで姿を現さなかった、というか最初から鏡獄島にはいなかったのだがこれは今後の対決を期待していいのだろうか。
そしてもう一点気になることがある。それは鏡獄島が現在中国とベトナムが領有権を主張している『西沙諸島』にあり、そこに精神病院が建っているという点である。確かにこの場所なら人なんか滅多に来ないだろうが…まさかミステリ小説でも実効支配を進めるとは思わなかった。