温柔在窓辺綻放
中国語の推理小説を対象にした『島田荘司推理小説賞』の常連作家・王稼駿が第三回島田荘司推理小説賞に応募して入選した作品が本作で、元々のタイトルは『熱望的人』だった。それがミステリ専門雑誌『最推理』に連載されるときに「こんなタイトルじゃ売れない」と編集に言われたのか『温柔在窓辺綻放(仮訳:優しさは窓辺で花開く)』と改題された。タイトルである程度察しがつくが、本作は感動系ミステリを狙っている。ただしその内容は王稼駿が『明暗線』で発揮した底辺学生の自分勝手な友情や他者の理解を拒む苦悩と言った特色が描けてはいるもののそれが青春へと昇華されておらずやや消化不良と言ったところだ。それに今回は恐らく親子の交流をテーマの一つにしているのだろうが不良学生同士の付き合いと比べてこの大人と子供が心を通わせる様子はどれも陳腐に見えてリアリティもオリジナリティもなく到底感動できる話ではなかった。
そもそもこの作品は前半と後半でまるでジャンルが異なっていて一つの作品としての一貫性に欠けているように思えた。まず本書の裏表紙に記載されているあらすじをざっと書いてみよう。
大病を患い全身麻痺になった妻の易理希のために夫の郭樹言は意思の疎通が出来る装置『小獅子』を作り上げる。一方、彼らの住む地区ではここ最近凶悪な殺人事件が発生し、警察の駿作は易理希が事件に関する何かを知っているのではと推理し彼女から事情を聞く。そして『小獅子』が出した容疑者の名前は他でもない夫の郭樹言のものだった。
このあらすじを読んだ読者はきっと本書をSF要素のある推理小説と思い、『小獅子』の出した答えに装置の故障または意図的なバグの存在を疑い、更にはそもそも『小獅子』の証言に信憑性はあるのかなどと考えるだろうがそんなもの杞憂に終わる。何せ『小獅子』の役割は前半で終わり、中盤からは殺人事件の被害者に近しい人物である学生たちの学校生活に移行するからだ。
郭樹言・易理希夫婦の隣に住み家族ぐるみの付き合いをしてきた学生の吉宇、駿作の息子で不良の秀人、そして彼らの学校に転校してきた章小茜の3人が主軸となり学校でそして家庭で醜い争いを起こす。この3人は決して殺人事件と無関係ではないのだが、彼らの介入によって物語の軸が大きくぶれたという印象は否めない。
肝心の推理部分、要するに殺人事件の犯人に迫る描写もまるでおざなりで、読者の予想もしない犯人が登場し、更に郭樹言・易理希夫婦の思惑なんかも明かされたが、これらの結末は家族問題や学校問題が混線した本を長い間読まされた読者を納得させるものではない。特にラストに明かされる郭樹言・易理希夫婦の無私の奉仕など如何にも感動的で『エンディングだぞ、泣けよ』と言われているようで鼻白んでしまった。
本作が第三回島田荘司推理小説賞で一体どのような評価を受けたのか是非とも知りたいものである。きっと私が見逃した魅力が本書には隠れているに違いない。