我的名字叫黒(我が名は黒)
著者:王稼駿
もうすっかり島田荘司推理小説賞の常連としてその名を知られた王稼駿の新作サスペンス小説。もともと『簒改』(改竄)というタイトルで2011年の第2回島田荘司推理小説賞に応募し入選した本作はその後『最推理』という推理小説雑誌に連載され、書籍化にあたって『我的名字叫黒』(我が名は黒)とタイトルが変更された。そのため正確な意味では新作とは言えないかもしれない。
推理小説家の寧夜は大の小説バカで四六時中創作のことしか考えておらず、愛想を尽かした妻にとうとう出て行かれてしまった。そこでシリーズの主人公の探偵黒を殺すことで今書いている小説を最後に自身の作家人生を終わらせることを決意する。だが小説を書き続けているうちに寧夜の周りで殺人事件が起こる。
被害者はみな自分の新作を読んだ者たちばかりで、しかも現実には不可能と思えた作中と同じ手口で殺されている。寧夜は自分が創り出した探偵黒が自身の死の結末を変えるために現実世界に現れ、小説の内容を知る者たちを次々に殺しているのだと考えるようになり、最後は自分も殺されると悟る。そして刑事の孟大雷がまだ出版されていない小説を倣った連続殺人事件の参考人として寧夜に話を聞くうちに、彼もまた探偵黒が犯人であると考えるに至る。だが事件の被害者たちは作品を読んだこと以外にもう一つの共通点があった。
探偵黒の正体に読者の焦点が定まるだろうが読み進めていくとある程度予想が付いてしまう。しかし中国のサスペンス小説はたまにホラー展開になっていくので油断できないのが実情だ。私が以前読んだサスペンス小説では赤ん坊のゾンビが登場したこともあるので、もしかしたら本当に探偵黒が小説の中から現れたという展開も否定出来ないのだ。しかしそこは島田荘司推理小説賞に認められた作品、ちゃんと導き出せる答えを用意してくれている。
だからこそ犯人の目星は簡単についてしまい探偵黒の正体が明らかになったところでどんでん返しとはならないのだが、最後の最後になってずっと受け身だった寧夜がこれまでの言動に基づいた行動を起こし、これまで積み重ねてきた彼の設定が結末への伏線だったのかと驚ける。
この本は『我的名字叫黒』一本で構成されているわけではない。表題作は中編程度の長さで、残りは『人シリーズ』という連作の短編が掲載されている。島田荘司推理小説賞受賞作の『虚擬街頭漂流記』や『遺忘・刑警』(邦題:世界を売った男)と比べるとあまりにも短い内容に『我的名字叫黒』(旧題『簒改』)が大賞を取れなかった原因があるのではと勘繰ってしまう。
後半に収録されている『人シリーズ』は『孤独的人』(孤独な人)、『微笑的人』(微笑む人)など10編あり、前作で脇役だったキャラが次の話には主役になったり被害者になったりする連作だがシリーズ全体に同じテーマがあるわけではない。
これが本書のおかしいところなのだが、実は王稼駿が第3回島田荘司推理小説賞に応募した作品が『熱望的人』という『人シリーズ』の長編作なのである。だったら本全体を『人シリーズ』でまとめるのが普通なのだろうが、おそらく『熱望的人』がまだ雑誌に掲載されていない関係でこのようなちぐはぐな収録内容になっているのだろう。
『人シリーズ』で気になったのが日本人女性が出てくる『平静的人』と臓器移植が事件の鍵となる『微笑的人』だ。どちらも王稼駿の生んだ名探偵左庶が事件を解決するが焦点はそこではない。
『平静的人』は日本人女性の名前に面食らった。『森剛亮太』という大層男らしい名前なのだ。実は男だったというオチへの布石かと思ったんだがそういうことはない。なんだって王稼駿は『森剛亮太』という名前を付けてしまったんだろうか。彼が参考にした資料が知りたい。
『微笑的人』は短編にするには惜しい題材だった。自分の大切な人に臓器を移植させるため、血液型の合致する被害者を騙してドナーカードを書かせ、臓器を傷つけないように殺し直ちに救急車を呼ぶという日本で発表したら『日本骨髄バンク』に訴えられそうな内容なのだが長編にしたら『半落ち』みたいな傑作になったんじゃないかと思う。
やはり王稼駿レベルとなると安心して読書ができる。『我的名字叫黒』は映画版の公開が予定されているので、彼の名前が国内外問わず広まっていけばいいと思う。