第3回島田荘司推理小説賞大賞受賞作品です。私は台湾繁体字版の原著を読んでから日本語版を読みましたが、日本語版を読んで発見したことも多々あってよっぽど普段の読書で目が滑っているのだなぁと反省しました。
物語は唐突に第12章から始まる。大学生・盧俊彦の隣人の方一家の主人が密室で刺されて倒れていた。部屋には彼の小さな息子しかおらず、ナイフにはその直前に家を訪れた許家育の指紋しか付いていない。
物語はこの惨劇がどういう経緯を経て発生したのかを振り返り一章に戻る。一章や三章などの奇数の章では後に「漫画大王」とまで呼ばれるようになる小学生の健ちゃんの様子が描かれ、二章など偶数章では妻子持ちだがうだつの上がらないサラリーマン姿の方志向が描かれる。一見すると二人とも台湾の一般的な家庭で暮らす平凡な人間で、冒頭の事件だって新聞紙の一隅に書かれるほど地味なものだがこの殺人事件の背後には異常な親子関係が隠れていた。
本書は奇数の章が健ちゃんという子供を中心に、偶数の章が方志向という大人を中心に書かれており、前者は「ですます」口調で翻訳されていて物語風の語り口になっています。これは翻訳者稲村氏のオリジナルであり、原著にはこのような表現の違いは見受けられません。
奇数章の主人公の健ちゃんは母親に内緒で父親からたくさんの漫画を買ってもらっていて漫画に詳しい存在として友達から頼られ、漫画に関する質問なら何だって答えられる知識量を誇り、みんなからは漫画大王と呼ばれていました。しかしクラスにはもう一人、許家育(太っ許)という漫画好きがおり、彼と健ちゃんはことあるごとに喧嘩をしていましたが、ついにはクラス委員長の女の子を巡りどっちが多くの漫画を持っているのか所蔵量勝負をすることになります。
対する方志向は子供の頃のある事件がトラウマとなっていてパッとしない人生を送っており、妻子がいるというのに妻に内緒で勝手に会社を辞めたり、新しい職場では周囲の同僚のランクが高くて自分を卑下したり全然良いことありません。しかし偶然昔の幼馴染と出会った彼は自分のトラウマを克服すべくとある実験に協力します。
いきなり殺人事件が発生する第12章から始まっているということは作者がこれから叙述トリックを仕掛けますと堂々と宣言しているようなもので、健ちゃんと方志向という二人の主人公が一体どこで交わるのかドキドキさせられますが、物語が進展していくと結構常識外れな大仕掛が施されていて果たしてこんなことが現実に可能なのか?と仰天します。
作者が本作は私小説と言っているだけあって当時の台湾の風俗や過去に実際に出版されていた各種漫画が経験者自身による昔を懐かしむ筆致で綴られているのに、突如として出現した大仕掛が物語全体と融和しておらず、ググッとねじ込まれて浮かび上がるこの異様さが本書に流れるノスタルジーを引き裂いて本書をミステリ小説にしています。
現実性を考えるとこの大仕掛を実際に成功させるのはほぼ不可能です。だけどそれはそれで良く、この非常に歪な大仕掛は実行不可能という必須条件をもって叙述トリックを完成させ、単なる一家庭で起きた殺人事件が探偵には垂涎モノのミステリ案件に仕上がるわけです。
このあとネタバレ
さて、物語のラストで奇数の章の子ども時代に漫画大王と呼ばれていた健ちゃんが実は方志向であることが明かされますが、何故方志向という少年が健ちゃんなんていうアダ名(原書では阿健。『阿』は主に男性の呼び名の前に付けて親しみの意味を表す)で呼ばれていたのかピンとこなかった人も多かったと思います。
私は原書を読んだとき中国特有の『小名』(幼い子どもに付ける本名とは異なる呼び名)かなとなんとなく納得しましたが日本語版で読むとやっぱり「健」って漢字の付いていない人間を「健ちゃん」と呼ぶのはおかしいんじゃないかと一度飲み込めた疑問を再び飲み込むことを躊躇しました。
このことは『萌えるアジア ブログ』の管理人の小泉氏も本書のレビューで触れています。そしてコメント欄では翻訳者の稲村氏がこの点について説明を加えており、これが中国の『小名』文化に基づくアダ名で、日本語版では原書にはない「強くて健康になってほしいから『健ちゃん』」というアダ名の由来の記述を付け加えていると話してくれています。
ここで中国で使われている『小名』について説明するために中国語のサイトではありますが『子どもに付ける小名一覧』が掲載されているページのリンクを載せます。
どうやって子どもに可愛らしい小名をつけようか
そしてネットには実際に『阿健』という小名が付いている子どもも載っています。
またこの叙述トリックについて大陸在住の中国人読者にも聞いてみましたが別段奇妙には思わなかったということでアンフェアではありません。
作中では健ちゃん以外の子どもも太っ許とか爆竹とかアダ名で呼ばれていて、健ちゃんは友達に自分のことを漫画大王というアダ名で呼ばせていて名前が呼ばれない環境を上手に作っています。だけど太っているから太っ許、うるさいから爆竹などというアダ名に比べて健康的に育ってほしいから健ちゃんというアダ名は小名文化を知らないとなかなか納得出来ないと思います。
これを受け入れるにはその文化に対する理解を深めるしかなく、例えばロシア人は本名とかけ離れたアダ名が付けられるからロシアの小説を読むのは大変だという認識がありますが、そのおかげで一般的な日本人もロシア人のアダ名文化を理解していないとはいえ知っています。
だから中国特有の文化を理解するためには今後も本書のような話題性のある本が定期的に市場に出る必要がありますね。しかしネットを見るとアダ名について不思議に思っている人が『萌えるアジア ブログ』の管理人さん以外いなさそうなので、みんな特に疑問も持たず消化できたのでしょうか。まぁ最後の最後で明かされるとは言え、ここが本書最大の謎の暴露というわけではないのであまり気にする必要もないのですが。