壊小孩/著:紫金陳
出版された本なら全て読んでレビューしてきたお気に入りのミステリ作家紫金陳の新作が『推理之王』シリーズ2作目として登場した。
これがまた期待を裏切らない出来で、紫金陳のストーリーテラーとしての力量をまざまざと魅せつけられた。トリックはまたしても叙述トリックが主だが今作ではその技巧がますます走り、真実が明らかになったときに放つ切れ味も更に増している。
『壊小孩』(悪ガキ)とあるが作品のテーマは少年犯罪と言うよりも日々悪化する現代中国のモラル問題だ。殺人犯を脅迫する子供たちに世紀末感を禁じ得ないが、小説冒頭にもあるように自分を助け起こしてくれた善人を脅迫して金をせしめることができる現代中国で殺人犯をエサにしない道理はない。
物語は数学が得意な普通の中学生男子が孤児院から逃げた親友とその妹分を匿い、偶然にもカメラに殺人事件の瞬間を収めたことで二人から犯人を恐喝するよう提案され、生きるためには形振り構わない友人に翻弄される…かと思いきや徐々に主人公がアドバンテージを握っていくという逆転劇。
孤児院から逃走した二人は言うまでもなく、学校や家で『良い子』で通っている主人公すら家庭に問題を抱えており、本作は現代社会に追い詰められた少年たちが罪を犯すいわゆる社会派ミステリに属するかも知れない。殺人犯を恐喝するなんてその後に行う犯行に比べれば易しい部類に入るわけだが、その犯罪が頼れる大人のいない世界で少年たちを成長させる舞台装置となっている。
『推理之王』シリーズなので前作の探偵役・厳良が引き続き登場するわけだがまさか大学教授である厳良と殺人犯は師弟関係にあり、彼の妻が自分の姪という続柄だから事件に関与するという設定に無理を感じないでもなかった。中国でも部外者が事件を捜査することは当然出来ないが、この作品のおかげで難事件があれば厳良に助けを求めてもいいという特別措置が取られる前例が出来たので、次作以降はもっと簡単に厳良が事件に介入できるだろう。
そして今作は更にトリック成分が薄く、何せ少年たちが写真を撮っていなければ厳良すら事故死として扱っていたのだから、この点から分かる通り厳良の見せ場は少ない。
しかし作家紫陳金のカメラへのこだわりは健在である。彼は今まで犯人が監視カメラを無効化することに労力を費やしており、彼の作品において監視カメラは警察以上に犯人のライバルであった。しかし今作では監視カメラのないところで行った犯罪を少年たちに写真に撮られていたという、見方によっては作家本人への皮肉とも取れる偶然が今作における犯人の最大の敵になっている。
少年たちが犯行をエスカレートさせていくとは言え全体としては前作以上に非常に読みやすくライトな感覚のまま終盤まで行ってしまったが、一見蛇足とも思える登場人物の日記でこの評価は一変する。日記を『アリバイ』にすることで事件の渦中にいながらも事件から最も遠く離れた安全圏に身を置けた書き手の狡猾さには厳良たち警察どころか読者すらも舌を巻くだろう。更に書き手の心理描写が日記の登場後なくなるので、書き手が何を思ってこの日記を書いたのは謎のままである。この読者と書き手の急な別離と、真犯人が警察の手からも離れてしまう展開にグッドエンドは許さないと言わんばかりの作家紫金陳の本領が発揮される。
本作の要点を一言でまとめれば、作中の登場人物のセリフに突き詰められる。
朱朝陽は言う「大人は生まれたばかりの赤ん坊から十何歳の学生までみんな子供扱いする。十歳以下の子供なんて当然単純だから、ウソだって簡単に見破られる。でも十歳以上の子供はもうバカじゃないんだ。だけど大人はまだ子供なんか単純だって思っている」
伊集院光が自身のラジオ番組で言っていたが子供って純真でもないし意外と人の顔色をうかがって空気を読むことがあるし嘘も吐く。
本作の読了後、弱者を食い物にし善人を騙す国に暮らす子供たちの悪事を果たして我々大人たちは咎められるのだろうかという問いが残るのである。