元年春之祭-巫女主義殺人事件 陸秋槎
登場人物のギスギスしたやり取り、全体的に緊張感のある雰囲気、全くわからない犯人像、腹の中が読めないキャラたちなどのせいでイライラさせられっぱなしの読者はラストの解決編がもたらす爽快感にやみつきになり読書二周目に入ることになるでしょう。
天漢元年(紀元前100年?)、楚の雲夢澤(今の湖北省)でかつては楚の国の祭祀を取り仕切る一族だった観氏の少女・観露申は同年代の長安の豪族の娘であり祭祀を司る『巫女』の於陵葵と知り合う。狩猟をこなす上に博学な葵に四年前に観氏で起きた一家惨殺事件の犯人について質問するが、彼女の口から出た真犯人の名前は露申には到底受け入れられない人物だった。そして葵を招き入れた観氏にまたしても災いが降りかかる。犯人も動機もわからない連続殺人事件が発生し、葵との仲が悪化していく中、露申は疑惑の目を葵へと向ける。
本書は日本在住の中国人ミステリ小説家陸秋槎が執筆した初の長編本格ミステリです。中国の前漢時代が舞台ですが戦場で活躍する武将ではなく、祭り事を仕切る巫女を中心にして物語は進みますが歴史知識は特に必要としません。また、良くも悪くも現代的な文章のおかげで読みづらさはありません。多くの歴史資料に裏打ちされた内容はちょっとペダンティックではありますが単なる知識の披露と思いきやちゃんと本筋と関係があり、日本人読者及び日本ミステリ好きな中国人読者はこの文体に京極夏彦の京極堂シリーズを思い浮かべるのではないでしょうか。巻末に参考文献一覧が書いてあるのも嬉しいです。
白状しますと私は読書中、冒頭の要素が原因でイライラしっぱなしでした。
まず探偵役であり主人公の葵は探偵役特有の空気の読めなさと周囲を意識しない子どもらしい残酷さを見せてあまり好かれる要素がありません。まぁ葵は良いのですが問題は露申で葵と比べてあまりにもピュア、悪く言えば無知ですので葵を受け入れるほどの器量も知識もなく少女が生きた十数年間のみで培った常識だけを根拠に彼女の非常識的な言動をいちいち否定してケチばっかり付けます。先ほど京極堂シリーズの名前を出しましたが、彼女ら二人が仲の良くない京極堂+榎木津と関口くんみたいな関係にも見えます。アイツラがもし友達じゃなければ『姑獲鳥の夏』で榎木津が最初に病室から逃げ出した時点で関口くんは榎木津をぶん殴っていますよ。
少女たちのギスギスした雰囲気においおい陸秋槎は百合ミステリの名手じゃなかったのかよ、と裏切られた気分にさせられますが、そのガッカリ感もイライラも全てがラストの解決編で吹き飛ばされます。
終盤でキャラのセリフ、生い立ちなど作中に自然に設置された伏線がさらりと解消されていますし、何でこのキャラはこんなことするの?という疑問が一挙に氷解して今までの苦しみが多ければ多いほど開放感に浸れます。そしてサブタイトルが何故『巫女主義殺人事件』なのかという意味も理解できて、本書が決して『巫女』の言葉を前に出して人目に付くようにしているだけではないことがわかります。
明らかになっている証拠が視点を変えるだけで犯人を指す最大のヒントになっていて読者の盲点を突いたものになっています。しかし本作の魅力はやはり犯人の『動機』でしょう。前半でページを割いた『屈原』に関する文章は単に葵の聡明さと異常さを演出するものだけじゃなくちゃんとミステリー部分にまで及んでいたのかと、その構成に感心させられます。
本書には本格ミステリらしく『読者への挑戦』が2回も出てきます。もしかして中国人ミステリ小説家ってこれを入れるのが好きなんでしょうか?私個人としては、この挑戦状と終盤に作者が「私」として出てきて読者に訴えかけるのは必要なかったんじゃないかと思います。