およそ10年に及ぶ中国暗部への潜入取材がついに書籍化。サブタイトルの无数次 死里逃生 何度も命からがら生き延びたは誇大広告ではない。
著書は1,乞食組織編、2,売春集落編、3,売血組織編、4,ボッタクリバー編、5,代理出産会社編の5章に分かれている。著者の李幺傻は記者の身分を隠し勇敢にもこれらアンダーグラウンド社会に単身潜入し、自身を危険にさらしながら決死の取材を敢行する。
上司の匿名を受けた李記者は早速道端で乞食のふりをして物乞いをしていたら、その地区の乞食グループのボスから声をかけられた。ボスの承諾なしに『仕事』はできないと脅された李記者は前もって準備していた偽りの身分を明かしてその地区のグループに入ることになる。
こうして乞食グループに潜入した彼が目撃したのは乞食社会に存在する階級制度と厳しい掟だった。各地区を担当するボスたちは彼らを総括する大ボスから与えられたノルマをこなすために、部下に多種多様な物乞いをさせる。だがいくら頑張って稼いでも部下の上がりのほとんどはボスに行き、最終的に多額の金が大ボスへ上納される。もしそこで余計な色気を見せて金を誤魔化そうものなら例え1元でも容赦のない制裁がくわえられる。
歴然とした階級社会の中で李記者は文字が読めることを重宝されて大ボスを補佐する会計役に大抜擢されることになった。しかしマフィア並みの掟と前会計担当者の不在理由を知った李記者は一刻も早くこのグループから抜け出したいと願う。しかし監視が付いているため身動きがとれない。そんな中唯一頼れる存在だったアニキが失踪してしまったことでついに、ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない状態になった李は監視者の目を誤魔化してとうとう脱出に成功する。そして、警察に通報してグループを一網打尽にしたところで第一章が終わる。
そして李記者はその後も売春婦が住む一角で生活し、危険と隣り合わせの彼女らが如何に無知であるのかを知り驚いたり、売血者の組織では使い回しの注射器を使用している売血者たちにエイズの危険性を訴えたりする。
ボッタクリバーの組織が東北出身者で固められているのを見ると同郷を装い、一度聞いた方言なら数日で地元の人間並みに完璧に喋れる能力を発揮し仲間に加わり、代理出産の会社には成金の客のふりをして内情を吐かせる。
李記者は記者として有能であることは間違いない。しかし有能であることがことごとく裏目に出て、何度も新聞社を転々とする羽目になる。実はこの暗訪十年は李記者が数々の不幸に見舞われてようやく大成するサクセスストーリーでもあるのだが、彼は自分が不幸なのは『自身の真面目な性格』が原因だと思う。
だからだろうか。李記者が見つめる取材対象たちへの視線は酷く冷淡である。記者として正当な客観的な視点に立っているといえばそうなのだろうが、非合法の闇社会で生きなければならない人間たちに対して何ら哀れみの感情を持っていないとボクは思えてならない。
乞食も売春婦も売血者(文中では血奴と称される)も彼らの背後にいるボスに搾取される存在であり、本来ならば保護しなければいけない弱者であるはずだ。しかし李記者は売春婦に対して「売春婦は普通の女ではない、彼女らは特別な材料でできている」と切り捨てている。
彼らがどうしてこんなことをしなければいけないのか、何故存在しているのか、と問題を掘り下げないからこそこの本は読みやすいのだが、ボクはここに李記者の記者としての傲慢があるように思えた。記者として潜入取材をしているのだから、一歩身を引いて全体を観察する態度を非難することはできない。だがいくら危険な場所で命の危機にさらされたところで李記者はとどのつまり部外者なのであり、一種の職業的優越感が邪魔をして彼が『死地』と呼ぶ場所で暮らしている人々の内情を知ることはできないのだ。
この本は中国の裏社会を知りえる貴重な本であることは疑いないが、実情まで知った気になってはいけない。少なくともボクはこの本が中国裏社会の暴露本であると誤解していた。しかしふたを開けてみれば常識人が見た異世界紀行本であり、闇をえぐるような鋭さはない。
この暗訪十年、既に二作目が出版されている。有名記者となった李記者がどこに潜入してどんな感想を持つのか気になるところではあるが、彼の記者であるという自尊心が更に大きくなって肝心の部分を見逃していないか心配せざるを得ない。