偽幣之家(偽札の家)というクライムサスペンス小説的なタイトルですが本作はミステリとは関係ありません。多分文学小説のジャンルです。
時は改革開放真っ盛りの1980年代後半に福建省の馬鋪が知的障害を持つ子どものために熱狂するというお話です。
銭九発と黄瓊花は決して愛し合っている夫婦でもなければ裕福な家庭にいるわけでもありません。だと言うのに夫の九発は給料を貰えば(当時で月200元もない)バクチへ行ってはスって、方々に多額の借金をこさえる甲斐性なしです。妻の瓊花はそんな夫に嫌気が差して毎日小言ばかりを言い、二人の間にはケンカが絶えません。そんな中生まれた銭金清が二人に波乱を巻き起こします。8歳になってもほとんど口を利かず、家中に落書きばかりしていた彼はある日妹の金霞(一人っ子政策違反)の全身に絵を描いているところを九発に見つかります。すでに息をしていない娘を見た九発は怒りのあまり金清を天井まで蹴り飛ばす。その後金清は今まで以上に感情を出さない子どもになり、親を含めた村中から半丁(半人前、知恵遅れという意味)のあだ名で呼ばれるようになります。
しかし、この半丁が紙に描いた本物そっくりのお札が、縁起がいいということで本物のお金で高く買い取られるようになってから九発と瓊花の生活が一変します。
作品には作者の生まれ故郷である閩南(福建省南部)の方言が散りばめられていますが、「又生了硬的(男的)(訳:また男を産んだ)」というふうに注釈が付いているので読むのにさほど苦労はしません。
読んでいる間、この作品は絶対にハッピーエンドでは終わらないだろうという不安がありました。
ストーリーがおとぎ話にも似ていて、欲深者には絶対に罰が当たるというパターンが踏襲されています。いじわるな爺さんと婆さんのところに半丁という福の神がやって来て、最初は小金を稼ぐだけでしたが半丁が金の生る木だとわかると大きな規模の金儲けを思いつき、散々利用したある日福の神は去って行ってしまい、残された爺さんと婆さんは貧乏に逆戻りしてしまうのです。欲深者は馬鹿を見るパターンは全世界共通なのでしょうか。
幸運をもたらす偽札は半丁が手で一枚ずつ描き上げているのですから大量生産できるわけありませんし、人が作っている以上終わりがあります。ただ、機械のように黙々と偽札を描く半丁を、九発は我が子を『偽札を描く道具』程度にしか見ませんし、他の大人も半丁を心配したり、彼の人権を気にかけたりする人は一人もいません。親の九発を筆頭に登場人物全員クズなのですが、この作品には不快感が全くありません。こういうと怒られるかもしれませんが、みんな純朴で素直なんです。お金があるからバクチをする、子どもが描いた絵が金になるから売る、その絵が福を呼ぶから買う、バクチに飽きたから女を買う、お金があるから夫婦ケンカをしないと言ったように、お金を中心に回っていて感情をさしはさむ余地がありません。金に支配されている彼らは半丁を利用しているようで間接的に半丁の下についており、意思表示もできない子どもに逆らえない滑稽さが描かれています。
決して、子どもを虐待して強制的に働かせている話ではないのです。漫画家が自分の子どもが起こした面白い事件をネタにして漫画を描くのと違うところはありません。
ちなみに、本書は1980年代後半が背景になっていますので、ここに出て来る100元札などのお札は1987年に発行された第4版と呼ばれるものです。現在中国で使用されているお札は1999年発行の第5版と呼ばれていて、2015年に100元札のみ新しいバージョンが出ました。
参考:http://business.sohu.com/20150810/n418503656.shtml
中国文学研究者なら本書から中国の拝金主義や迷信を批判しながらそれに群がる盲目的な集団心理などを読み取るのでしょうが、私は素養がないのでやりません。ただし、読書する価値は十分にあると思います。
また、ラスト30ページは普通のホラー小説よりはるかに恐ろしいです。貴志祐介の『黒い家』に比肩する、日本ホラー小説大賞受賞作を思わせる狂気が描かれています。