一個人的環球航海/著:翟墨
北京ブックフェアで見かけて気になったのでアマゾンで購入した本。
タイトルを邦訳すれば『たった一人の世界航海』となる。一人の中国人がヨット一隻のみを頼りに長い年月をかけて世界を一周するという内容なのだが、全体的に昨今の中国の覇権主義を後押しするようなきな臭さを感じさせる。
筆者の翟墨(中国語発音・Zhai mo)は山東省の鉱山業者の家に生まれ、しかも生来の虚弱体質且つ美術家であり本来海の男などにはなるはずもなかった。しかし留学時に出会ったノルウェー人の老人から航海の魅力を教えられ、中国人で初のヨットによる世界一周達成者となることを夢見る。そして彼はとうとう中国を出発し、航海中にはサバイバル生活らしく暴風雨に遭って死ぬ思いをする他、米軍基地に漂着して尋問を受ける、現在中国とベトナムで領土争いしている西沙諸島で『自国領土を守る』『勇敢な』中国軍から叱責を受ける、海賊に物資を取られるなどなど様々なアクシデントを乗り越えて、2007年から2009年までの間の2年間で単独での世界一周を達成するのだった。
あらすじはこんなもんです。本の前半部分が筆者の生い立ちや世界一周する前の準備等の話ですので、残りのページで2年以上をかけた船旅を描写するにはボリュームが少ないです。
筆者は航海の魅力に取り憑かれるとともに、中国人ではまだ誰もヨットによる世界一周をしたことがないという話を聞き、更に海洋ならばビザは不要というアドバイスを受け(中国人にとって諸外国のビザの取得は難しいです)、それならば自分が最初の一人になってやると野望を持ちました。その後、ヨットと言ったら日本だろうということで日本で船を購入し、近辺の海を航海し、さて準備OKだというところで資金不足に直面します。
ですが中国のテレビ局が番組を作るということで出発地点の山東省日照市から巨額の支援金を貰い、その問題は解消されることになります。そこで大規模な式典も催され、更に日照市の市長から船の名前を『日照号』にするのはどうだろうかと打診され、筆者はこれを承諾しました。
本書を読むと筆者の翟墨に対して酷く野心的であり過程よりも結果にこだわる男という印象を受けました。
筆者は回想形式の本書の中で何度も『中国(人)は強くあるべきだ』と主張します。随所に『中国人は~』という表記があるので、実は初稿では『我々は』と書いていたのにWordの置換機能を使って『中国人は』に一括変換したんじゃないかと疑うぐらい『中国人はこうであるべき』というスローガンめいたセリフが多いです。
この思想は貧弱だった少年時代とはあまり関係なく、アメリカで中国人であることを理由にビザが取得できなかった悔しさから来ているようです。つまり彼は国際社会において中国人は強くあれと言っているわけですが、そういう思想を持った人間が夢を見た世界一周というのは要するに彼なりの『世界征服』であり、中国人の強さを各国に知らしめることに他なりません。
そのためか本書は一人で行う航海よりも停留してその国で誰と出会い何をしたかにページが割かれております。旅行の道程というものは彼にとってあまり意味が無いのかもしれません。
そもそも、筆者はビザの問題がなければ徒歩による世界一周をしていたかもしれません。翟墨は大海原を航海して世界を一周するのではなく、世界一周したいがために航海という手段を選んだに過ぎないと思うのです。
・翟墨のいま
『中国は強くあるべき』だという思想を持つ翟墨は2013年8月に『姜太公号』(以前の日照号)に乗船し尖閣諸島上陸未遂を起こしております。
http://news.livedoor.com/article/detail/7926091/
その時は島から5.5キロのところで日本の海上保安庁に阻まれ中国当局の海警船に付き添われ引き返したとのことですが、後日インタビューで『日本人に私の《日照号》を見せつけた』と答えております。
http://news.iqilu.com/qlzk/news/20130910/1661033.shtml
私はこのニュースをいま初めて知ったんですが日本でもニュースになったようなので一定の反応はあったんでしょう。
私はこの人の海には国境がないからビザがなくても自由に行き来できるという行動原理は好きですし、海外で中国人であることを理由に不公平な待遇をされたから強くなって見返してやろうと思ったというエピソードにも好感を持ちます。
しかし、本書からは広大な海で偏狭な民族意識に囚われている中年男性の姿が浮かんでくるだけです。
この本を始めてみた時、変わった中国人がいるものだと感心しましたが、これまでのエピソードから判断すると翟墨は良くも悪くも一般的な中国人のオジサンにすぎないと思います。本書は普通の中国人のおじさんが膨大な時間と労力そしてたくさんの支援を費やして夢を叶えたというチャイニーズ・ドリームの一つの到達点を描いているのです。