気がつけば二週間ぐらい更新を放っておいている。このままじゃブログのトップに広告記事が載ってしまうので、まぁ簡単に更新。
とある日本語のフリーペーパーの10月号で中華料理特集をしていた。そこで取り上げられた老舗の北京ダック店の紹介文の結びの言葉が首をかしげる内容だった。
北京ダックは低カロリーでビタミンやカルシウムなど各種栄養素が含まれており女性にふさわしい健康的な食べ物云々。
しかし効果が眼に見えるまでいったい何羽食えばいいのか。野暮な話になってしまうが、北京ダックに限らずきちんと作られた料理なら何がしかの効能があって当然。
少し話が違うが、日本のスシはヘルシーだぜ、と言い放ち高価なネタが乗った寿司を何十貫も平らげたロシア人がいたという佐藤優の話を思い出した。
雪虫に似た柳の種子『柳絮』が空を舞う頃、ライチを積んだリヤカーが北京にやってくる。
検疫等の問題で日本では食べられない生のライチが中国では食べられる。日本で見る冷凍物のライチは茶色く魚の鱗のような平べったい皮をしているが、生のライチは銅色と緑色の斑になっており、表面には無数のイボがついている。しかしバナナを剥くようにヘタの方から皮を剥ぐとすんなりと半透明の白い果実が顔を出す。
中国では日本と比べものにならないほどの種類の果物を見ることができる。味の面では劣っている果物も多いが(リンゴやイチゴは日本の方が甘い)、珍しい果物が安価で手に入るのが魅力だ。
急に暖かくなり半袖でも外出できるようになった天気の今日もマンションの近くにどっから来たのかわからない果物売りがリヤカーを引いてきた。
ラインナップはイチゴと野球ボール大の瓜、そしてライチ。
いくらだ?と聞いてみる。ライチは一般の果物より値が張るからだ。
「今の時期だとスーパーじゃあ一斤(500グラム)30元だけど、うちは20元だよ。さっきも5斤買っていったお客さんがいてね、ライチはダイエットにもなるし美容にも良いから買ってくといいよ」とセールストークをかますオジサン。
「なんだったらちょっと味見していってよ、美味かったら買って、不味かったら買わなくて良いから」
この言葉にボクはオジサンが好きになった。
味見させて→ダメだ!
なんて拒む果物売りはいないが、向こうから味見しろと声をかける人は少ない。
小ぶりのライチを一つつまむと、指の腹にイボが貼り付く。まだ青い固い皮を破くと指が果汁でひやりと浸みる。味は旬の時期のものより若干酸っぱかったが、それが逆に初物らしい。
オジサン込みで気に入ったんで1,5斤も買ってしまった。
冷蔵庫で冷やして食べるとこれがまた涼しげで、勢い余って冷たい果汁が顔にかかるのも心地が良い。
ピークだと1斤=7元ぐらいまで値段が下がり、一回り大きい品種も登場するのでこれからの季節、リヤカーを覗くのが楽しみだ。
枇杷を買った。
果物売りのリヤカーの中にホヤみたいな形の黄色い果物を見た。東海林さだおが本の中で枇杷なんか旬の季節がいつかわからないし、食っても食わなくてもいいものだけど一応抑えておきたい。と言い捨てられていた枇杷が売られていた。
ボクは枇杷が好きだ。黄色い皮を爪で剥いで、前歯で果肉をこそぐように食べる。際立った美味さはないが手に溢れる果汁の瑞々しさが如何にも初夏らしい。
そんな枇杷を中国人はどう扱っているのか。枇杷好きとしては海外でも冷遇されるのは忍びないので調べてみた。
のど飴の材料に使われる以外あんまり応用性がない。種はでかいし果肉は薄いので丸ごとかぶりつくぐらいしか味わい方がないのだろう。店でカットされた状態で出て来て欲しくない。
良く言えば無個性、悪く言えば自己主張なし。そんな扱いに困る問題児。味や見てくれが原因じゃないのに不人気果物。冷やした方が美味いのか、そんなことまでいちいち考えさせられる扱いづらい良い子ちゃん問題児こと枇杷。同じ種デカ仲間のライチはいろんな商品化が決まっているというのに、枇杷はジャムとかゼリーとか別に枇杷じゃなくても良いものばかり。産地はと聞いたらどこの県も声を潜める私生児。
甘からず酸っぱからず、リンゴや葡萄のように素直に味を形容できず、梨のように歯触りを楽しむものでもない。枇杷って本当に不遇だ。
しかしリヤカーで買った枇杷は美味しゅうございました。ただ、次にリヤカーを覗いたときは甘酸っぱさがウリでかぶりつくとアゴまで果汁が垂れるプラムに替わってた。だから枇杷よ、お前の季節はいつなんだよ
ちょいと小腹が空いたので近所にできた24時間の食堂へ足を向けた。
中国でこういう言い方があるのかわからないが、一応私が住んでいる場所は団地地区なので食堂には事欠かない。コンビニも付近に中国の物美とセブンイレブンがある。
入ってみるとこの立地条件にしてみればなかなか明るく広い店で、レストランのようにソファ席もある。深夜三時も過ぎているというのに席はかなり埋まっており、テーブルを覗くと夜食とは言えないボリュームの食事を囲っている。
そして私を除いて一人で来ている人間は誰もいない。
留学時代、韓国で一人で食事をすることは友人が一人もいないと公言するようなものだと韓国人と仲がよかったマレーシア人に聞いたことがある。例えコレが嘘でもこの嘘を信じている人間が少なくとも私一人ではないということだ。
中国でもそうだろうか。一皿に盛られる料理の量が多いので中国の料理は大人数向きであるし、人数が多いとより多くの料理が楽しめる。しかし私には一緒に夜更かしできる仲間がいるのが大層羨ましかった。
表の看板には『お粥店』と書いてあるので、お粥のメニューが豊富だ。スープで米を炊き、具に豚肉や海鮮、ピータンなどを入れた味のついたお粥はそれ自体一品料理の出来映えだが、私には病気の時に無理矢理食べさせられた酷くの味気のない日本のお粥を思い起こさせどうも好きになれない。
結局焼き河粉と牛すじの醤油煮を頼んだ。河粉とは米製の平べったい麺のこと。本当は値段の安い焼きそばが食べたかったんだがもう売り切れていた。深夜のことなので気にはならない。
しかし眠そうなウェイトレスはふてぶてしい態度を崩さず、黄魚泡餅という到底一人じゃ食べきれない魚料理を持ってきた。中国では好くあること、それに深夜なので気にはならない。だがなぜあれほど堂々と間違った料理を運んでくるのかは何年中国に住んでもわからない。
食べた料理は劇的な美味さがあるわけでもなし。不味くなければこれからも利用しようとは思っていたので、今後も行くことになるだろうが肝心の味は期待通りなんの特色もなかった。
この近辺の食堂は一帯で業務用食材でも仕入れているかというほど味が単一だ。この場所に移り住んで1年、各食堂に出前を頼むことがよくあるがこれと言ったヒイキがないのは店のレベルがドングリの背比べだからだ。
飯を食い終わったのが朝の四時。誰かと一緒に来ていれば空が白む頃まで居続けたのだろうに。