先日、ボクと同じ境遇の暇で暇でたまらない友人の部屋に遊びに行ったら『図書館戦争』を観ていたので途中からだけど一緒に観ることにした。
図書館戦争はボクの読まず嫌い観ず嫌いが高じて原作小説は中途半端に読み捨て、アニメは2話観てお仕舞いという酷い扱いをしている。それもつまらないという理由ならまだしも、納得できないからという身勝手な理由なのでここらで自分自身の誤解を解く良い機会だ。
事前に三軒茶屋さんの『』やさんのレビューを見てたからストーリーは結末までわかっている。あとは楽しめるかどうかだ。
結果的に言えば非常に楽しめた。途中で友人と笑いながら「これおかしいだろ」と突っ込んだりはしたが、全話ではないが見終えたということもあって前々から気になっていた疑問も解消できた。
原作小説では鼻についた主人公笠原郁の熱血してれば何とかなるんじゃないかっていう性格はアニメの表現方法を使えばさほど気にならず、彼女の成長ぶりをじっくり眺めることができた。
また、悪役過ぎるメディア良化隊にも隊員の一人が言った言葉でようやく合点がいった。
「俺たち良化隊には思想なんかない」
なるほど、メディア良化隊というのは街宣車を捨て、権力と武器を握った右翼なのか。
北方領土に近い釧路に生まれたボクは毎日のように音割れした軍歌を流す黒塗り街宣車を目にしてきました。だからボクは騒音をまき散らすだけの街宣車には不思議な愛着さえありますが、中に乗ってる右翼に憧れたことはありません。「御国の為」「北方領土返還」と叫ぶ彼らは実際には何も尽力していないし、その言葉の意味や重さがわかっていないようだったから子供の目から見ても馬鹿で愚かに見えた。街宣車に乗っている彼らはおそらく下っ端だろうから結局与えられた仕事をしているだけに過ぎない。
メディア良化隊も同じなのでしょう。別にどんな本を没収しようが知ったことじゃないが仕事の邪魔をされるとムカつくんでメンツのためにケンカをふっかける。
ボクは以前、どうして良化隊は多数派なのに市民に怖がられるような真似ばかりして弱者側に上手く取り入ろうとしないのか。と不思議に思ったけど右翼だったら仕方がない。
そんなメディア良化隊だけど、物語終盤での良化隊との戦いの際に彼らを撃った郁が脅えているのを見て、「ああ、良化隊も人間として扱われてるな」と安心した。
しかしこのアニメ、何も考えていない右翼が権力側にいる、国民がメディアの放送を鵜呑みにしている、規制が激しいなどの設定にありえないだろうけどもしかしたらありえる近未来を感じさせる物語だなと感心した。
すると隣で見ていた友人はいまだストーリーに違和感を覚えているようで、しばらく唸ったあとに自分を言い聞かせるように言った。
「このアニメの舞台が日本だからおかしく思うんだま。中国だと思えば何も変じゃない」
ジョークだけども留学経験の長い彼の言葉には何か光る物があった。
検閲のせいで下手なことを言ったらムショ送りされる国家のもとで暮らす中国人の若者はこの図書館戦争をどう思っているのだろうか。ボクはそれを調べてみることにした。
中国の『百度』という大型検索サイトにはBBSがある。そのBBSで『図書館戦争』と検索して彼らの声を聞こうとした。しかしコメントはどれもこれも『面白い』とか『堂上最高』といったものばかりで良い収穫はなかった。唯一面白かったのは
『日本に中国っていう土地があるけど、このアニメの世界じゃ中国が日本を侵略してるのかい?』っていうとぼけた質問ぐらいだ。それにはちゃんと
『日本にはもともと中国って言う名前の地方があって中国大陸とは関係ないよ』という微笑ましい返信があった。
ボクの見た限りじゃあ、図書館戦争に中国国家をなぞらえて考えるようなコメントは見当たらなかった。残念だがそもそも言論の自由がない国家に生まれた人々には自由を奪い返そうとする図書館隊を身近に感じることがないのかもしれない。
ハッピーエンドで終わった図書館戦争に二期はあるんだろうか。
物語のラスト、郁の言葉に賛同した市民から激励の手紙や図書隊のシンボルであるカモミールの鉢植えがたくさん送られるけど、何故メディア良化法という悪法がのさばるに至ったかの経緯を考えると、めでたしめでたしでは終われない。
この疑問を解消するにはもう完結している原作を読んだ方が早いけど、いかんせんここは中国、あんなデカイ小説なんて売っていない。中国語訳のもないようだから我慢するしかないな。