ただの留学生には中国ミステリ業界の隆盛を肌に感じることは難しいが、のんびりと一年も北京に暮らし毎月数冊の雑誌を買っていると雑誌の傾向や読者の好みなどがそろそろわかってくる。
これは紙質同様内容も粗悪でエログロであるとか、ホラー色が強いとか、作品よりもコラム系に力を入れているとか各雑誌の力の入れ所が違い面白い。
その中でボクが定期購読している『推理』はわりと良質なミステリ雑誌と言えるでしょう。日本や諸外国の名作を翻訳して無断掲載しているのでまるっきり真っ当というわけではないが、今のところボクの肌に一番合っているのがこの本だ。
だけど何か特別なところがあるわけではない。『推理』を含めて全てのミステリ雑誌の構成はどんぐりの背比べのようなもので推理小説初心者向けの造りになっている。『推理』は毎月一人国内外の有名作家や作品を紹介するスペースを設けており、『推理倶楽部トップ10』という企画をしている。
その企画は『東野圭吾作品トップ10』だったり『密室殺人事件トップ10』だったりと他愛もない内容で空いたページの埋め合わせとも見えなくはないが、読者に興味を持たせようとしているらしいことはわかる。だが別の本ではミステリ業界の変遷を年表にしていたり、凶器の種類とそれで体に現われる傷跡などを書いていたりする。
話がずれてしまったが本編の小説もお世辞にも巧いとは言えない作品ばかりだが、それも仕方のないこと。ほとんどが新人である彼らに与えられたページ数が少ないので事件の経緯を書くだけでもう紙が足らず、事件を解決する最後のピースは探偵自身の口から語られる。だから読者は事件が起こってから探偵が解決するまでの経緯をなぞらえて読むしかなく、自力で推理をする余裕など与えられていない。
しかしボクが『推理』をひいきしているのはやはり他よりもレベルが高いからだろう。根拠はないけど、作品を読むと小説家も編集者も良いものを作ろうと努力しているのが感じられるのだ。
その『推理』の中でボクのお気に入りの作家が二人いる。一人は杜撰、もう一人は御手洗熊猫というどちらも若い小説家だ。名前からして人を喰っている二人だけど、杜撰は若手とはいえかなりのベテランであり単行本も出版しているほどだ。ボクが読んだ限り彼の作品には、殺人が、と言うより事件と言えるほどのことが起きない。主人公が彼のもとに舞い込んだ少し不思議な依頼を解決するだけの作品なのだが、読後には胸がすくような気分を味わえる。
だが今回取り上げるのは彼ではない。後者の方だ。
御手洗熊猫、つまり日本語訳すれば『御手洗パンダ』という名前のこの作家、名前の通り島田荘司のファンのようで作中に島田庄司と御手洗濁という人物を出している。(中国語には『荘』と『庄』の区別がなく、『庄』の文字が使われる)
中国のミステリ小説で日本が舞台になっているものは少なくない。それをよく書く小説家もいる。しかしパンダのように実在の人物を出す作家は少ない。
ただし作中の島田荘司は持病を患う最早落ち目の作家であり、御手洗濁というのも御手洗潔同様探偵だが本物とは比較できないほどの凡才です。
パンダはこれまでこのシリーズで二つの作品を発表している。
ネットの評判はなかなかのもので、「こういう作家を待っていた」だの、「大胆で斬新な作風はこれからの推理小説界に必要だ」と掲示板には賞賛の声を挙げられています。ただし「トリックに矛盾点はあるが」という枕詞が忘れられていませんが。『ここがおかしい』と問題点を並べたレスも多かった。
では彼の作品がどんなものなのか、これから紹介します。
処女作『奇想天外のテレポートマジック』〈原題 异想天开之瞬移魔法〉は島田庄司が過去に起きた不可解な未解決事件を御手洗濁に語るというもの。
舞台は昭和57年のサーカス劇場。サーカス団の花形が瞬間移動というメインマジックを終わらせた後にステージ上で首なし死体となって発見される。島田は御手洗濁に当時の状況や証言全てを教え、事件の真相を解き明かそうとするのだが・・・・
この小説のメイントリックは双子を利用したものです。
と『読者への挑戦』で始まるこの作品のトリックは凄まじいものでした。複雑すぎて説明すると頭が痛くなるのでネタばらしはできないのですが、が出てきます。
次作『人体博物館殺人事件』〈人体博物馆谋杀案〉は人体博物館を建てた奇異な館長から招かれた御手洗濁含む著名人が奇妙な殺人事件に巻き込まれるという話。
ここでも『読者への挑戦』が出てくる。そしてトリックには直接関係ありませんがが事件と深く関わっています。
二作とも読んだ感想は『なんだか理解できない』に尽きます。推理がややこしすぎて全然説得力が感じられないのです。御手洗濁の得々とした語りが真実であるのに牽強付会の域を出ず、彼が次々に読者には思いも付かない可能性を出してくるから読者を戸惑わせます。
また、シャム双生児やバニシングツインズなどの異常な設定に説得力を持たせるために「アメリカにはヘンゼル姉妹というシャム双生児が実在した」とか「1939年、ペルーの小村で五歳の少女のお腹から生きた赤ん坊が生まれた」など過去の実例を挙げますが、それはトリックの成功率と整合性を上げるのに何も役立ちません。
ミステリ小説はそのトリックの論理性が重視されるはずなのにそのような矛盾や齟齬は棚に置かれネットで好評を得ているパンダの作品はいったい何なのでしょうか。
彼はおそらくミステリ玄人向けの小説を書きたいのでしょう。
『奇想天外~』冒頭の『読者への挑戦』の文言は西村京太郎作『殺しの双曲線』からの引用であると作中の後書きで明言していますし、『人体博物館』の登場人物は小栗虫子、泡坂昌男、歌野静子、小栗京太郎などと有名推理作家の名前をもじっています。設定もどことなく大正から昭和にかけて日本の推理業界を隆盛させた新青年っぽいです。トリックが無理矢理な感じが特に。
このように日本のミステリ小説を下敷きにした日本風ミステリがもてはやされるということは、目の肥えた中国人読者がいまのミステリ業界に閉塞感を抱いている表れではないでしょうか。
中国では数多くのミステリ雑誌が出版されていますがその中で海外作品を凌駕するような傑作が何篇あるでしょう。日本を含め海外の名作を読んできた読者にとって、突如として現われた新人御手洗パンダはインパクトがあるだけではなく、中国のミステリ業界に新たな可能性を打ち出した新星なんじゃないでしょうか。
彼の作品は本格でもなければトリックに遺漏がありミステリとしても破綻してもいます。ですが、こぎれいにまとめられた十人一様のミステリなんかよりも設定もトリックも異端で実験的な小説が多く出てきた方が得るものもあるでしょう。
ネットの噂だとパンダは現役の大学生らしいです。
イロモノの同人誌作家で終わらないでいてほしいですが、ボクはパンダに本物の『島田荘司』と『御手洗潔』が中国で活躍する推理小説を書いてほしいです。
それで島田先生と御手洗潔がこれから推理を披露しようとしたところ中国人に
「お前なんか知らねぇよ、さっさとロスに帰ってろ!」
と殴られて欲しいです。(お前知ってんじゃん!!)
事の真相を知って
愕然とする島田庄司先生
そしてなんと、アジアを対象にした『島田荘司推理小説賞』が設けられたそうです。これはますます御手洗パンダに頑張ってほしいです。
今のままでは島田荘司氏が定義する本格の条件に満たず落選することが目に見えていますが、難しいトリックを考えられる力量は備えているので(それがどんなに偶然性の高い穴だらけのトリックだとしても)ベクトルを切り替えれば本格推理小説家として化けるかもしれません。
さらに、なんと御手洗パンダ氏のブログがありました。
五月分で更新が止まっていますが、これからもパンダ先生から目が離せません。