五次方謀殺 著:軒弦
バカバカしいほど面白い傑作。
本書の帯には周浩暉(刑警羅飛)シリーズ作者、雷米(心理罪)シリーズ作者、紫金陳(謀殺官員)シリーズ作者、庄秦(有名なサスペンスホラー小説家)の連名の推薦があり、庄秦だけ代表作がないのか…となんだかモヤっとした気分にさせられる。周浩暉と雷米は一定以上のレベルのミステリ・サスペンス小説を必ずと言っていいほど紹介している『推薦文作家』だが、本書は確実に彼らの賞賛を得るに値する内容だ。
そしてキャッチコピーには『盗夢空間』(インセプション)に匹敵する頭を悩ませる大作であり、ミステリ界の『蝴蝶効応』(バタフライ・エフェクト)と称される。と書かれている。
全面真っ黒の別荘・漆黒館にやってきた夏は殺人事件に巻き込まれる。そこで従業員として働いていた慕容思炫の推理によりすぐに犯人が見つかったが、犯人の哀れな姿を見た夏は殺人事件が起きなかった未来を切望する。そして翌日、家に帰ってきた夏のもとに差出人不明の奇妙な機械が届く。その機械を作動させてみると、なんと時間が1日過去の、つまり殺人事件が起こる前の漆黒館にいた頃に戻っていた。これから起こる犯行を知る夏は犯人の凶行を未然に防ぐことに成功する。にも関わらず翌朝にはやはり李が死体となって見つかってしまう。しかもタイムスリップを重ねるごとに事態は前回よりも確実に悪くなっていき、徐々に夏自身まで追い詰められていく。
本書はタイムスリップを活用したSFミステリだが、館ものにありがちなトリック及び推理もきちんと用意されており、また黒いユーモアに溢れている。
被害者の李は金持ちで人間のクズであり、夏がどの世界軸に行っても絶対殺される運命にある。夏の目的は李を死なせないことではなく、犯人に殺人をさせないことなのだが、Aの犯行を阻止すると、今度はBが犯行を実施し、しかも犯罪のスケールや悲劇性が徐々に大きくなっていくという悪夢を夏は見続けることになる。
選択肢一つのミスでバッドエンドを迎えるという構成は『かまいたちの夜』とか『ひぐらしのなく頃に』などのサウンドノベルゲームを思い起こさせるが、失敗するたびにタイムスリップをし、前回の経験を活かして次はもっと良い結果を生もうとするのは桜坂洋の『All You Need Is Kill』にも似ている。
本作に登場する名探偵・慕容思炫は軒弦の生んだ名キャラクターで、珠玉の短篇集『密室不可告人』にも完璧な推理を披露する。本作ではどの世界軸で起きたいかなる事件も完璧に解決する完全なる名探偵という役割を担い、人間というよりも物語の機構の一部として活躍する。もしこの慕容思炫がタイムスリップをすればきっと確実に犯罪を防ぐことが出来たのだろうが、探偵の仕事は事件を防ぐことではなく解決することにあるのでその役目を担うことは出来ないだろう。