9月も中旬になったというのに外を歩くと汗が吹き出す彼岸前。しかし今年も夏に40度を記録した北京に住む人々は涼しげな顔をして道を行き交う。
読書の秋やらスポーツの秋やら言われるこの季節は動き出すのにふさわしい時期なのだろう。道端には真夏の間には見かけなかった人々の姿を眼にするようになった。
9月に入って乞食の姿をちらほら見かけるようになった。それも同じパターンの乞食を4組も。
乞食については以前も書いたが、最近見かける乞食はでも触れた、一人が布団に寝てもう一人が通行人に向けて土下座をしている乞食だ。
布団に寝ている乞食は大抵白髪の老人で寝返りも打とうとせずじっと仰向けになっている。そして彼の傍らで土下座をしている人間は年齢も性別もまばらである。しかし中年ならばその老人の子供で同じ老人ならば彼らは夫婦なのではといろいろ想像を膨らませられる組み合わせだ。
この土下座乞食の乞食方法はそのものズバリ土下座である。ただ土下座と言ってもずっと顔を伏せているわけではなく、「謝謝、謝謝」と口にしながら何度も何度も首を振るのだ。
北京で暮らしていれば決して珍しくない組み合わせなのだが、先日見かけた乞食には驚いた。
歩道橋下の人通りの多い道の端に白髪の老婆が汚れた布団にくるまっていた。そしてその隣で土下座を繰り返している中年男のちょうど額の位置のコンクリートの地面が黒く濡れているのだ。
その汗溜まりに驚いたのがボク一人ではなかったようで、その証拠に道に置かれた空き缶にはお札がたっぷり入っていた。
ボクはその彼の努力のたまものである汗溜まりに感激し、彼らがその効果を狙ってコンクリの地面を場所に選んだのに感動した。思わずお金をあげたくなった。例え彼らが紛い物の乞食だろうが、その行為と滴り落ちた汗には一元の価値があると思ったからだ。
その後地下鉄構内で同じ土下座乞食を何度も見たがどれもさほど儲かっていなかった。そもそも地下鉄で呑気に乞食にお金を上げる人は少ないだろう。
そして今日もまた地下鉄の階段下で土下座乞食を見た。中年女性と老婆の組み合わせだった。彼らを見ると地面を注視することがもうすっかり癖になってしまったのだが、構内の地面は白のモルタルなので成果を見ることは難しかった。
場所を替えれば良いのにと思っていると、首を上下に振って土下座をする女の隣にジャージを着た学生がおもむろに現われた。そして女に合わせて腕立て伏せをし始めた。
こりゃ二年前にネットで流行ったかと訝しげに見ると、彼の学友たちがゲラゲラ笑いはじめて、ボクはここでようやく酷い悪ふざけをするものだと苦々しく思った。
乞食の土下座を茶化す学生の行為は中国における乞食の捉えられ方を表していると言って良いのだろうか。少なくとも、汗の有無で評価するボクと腕立て伏せをした学生との間にはさほど距離があるとは思えなかった。
しかし、地下鉄を行き来する人々も学生らの行動に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてたのが印象的というか、妙に救われた気分になった。
そういえば乞食に扮して乞食組織に潜り込んだ記者が書いた『暗訪十年』が本棚にしまったままだった。これを機に読むことにしようか。