耳食者
著:王雨辰 挿絵:KAN
・耳食…人の言うことを真に受ける、人の話を鵜呑みにする。(小学館 中日辞典から)
★表紙裏のあらすじ
引きこもりの二流小説家が外で散歩している道すがら、物語を聞くことが食事の14歳前後の不思議な少女を拾ってしまい、彼女に奇妙な物語を1つずつ語り始める。
貧弱な二流小説家と人生の負け犬の警察官がなんで怪人が蔓延る得体の知れない不死の家族の財産相続劇に巻き込まれてしまうのか?
ネクロフィリアっぽくて回復力がゴキブリ級の間抜けな殺し屋と、口やかましい美少女の生首との間にあるのはどのような怪奇で感動的な愛なのだろうか?
貧乏で不器用で不運で可哀想な神様はどうやって怪奇趣味を持つ人間たちを頼って、間違った道に迷い込もうとしている“息子”を救済するのだろうか?
本書が述べたかったのは特殊な職業に就き人ごみの中に潜む妖怪と呼ばれるものたちのストーリーだ。
作者の王雨辰はホラー畑出身の若手小説家だ。本書が彼の初ライトノベル作品となる。だからだろうか。この小説は意図的なのかライトノベルの定石を外しているように読める。
主人公の二流小説家が耳食者の少女蘇弥里と出会ってしまい家まで連れてくるシーン。物語の冒頭ではせっかくの二人の出会いも、少女が大食いで食えるものならドッグフードまで口に入れてしまうほどの強いキャラクター性も、たった7ページで済ませられているのだ。しかも両者の会話はなく文中では書かれず主人公の一方的な独白だけで終わり、少女の台詞は一言もない。
この小説の本筋は少女に主人公の奇妙な物語を聞かせることにあり、女の子とじゃれ合うことではない。そして彼ら二人のやり取りは全3話ある本編への導入部でしかない。
★第1ストーリー《不死民》★
この物語の主人公で二流小説家の孟饗とその親友で人生の負け犬警察官の鐘夏はひょんなことから表の顔は大富豪、裏の顔はマフィアという赤氏と出会い、彼ら一族の不死の秘密を知ってしまう。そして人探しを頼まれるのだが、二人はいつの間にか赤一族の血みどろの家督争いに巻き込まれてしまい…
常識人の孟饗と軽率な鐘夏の掛け合いは《吐槽和反吐槽》(ツッコミとツッコミ返し)と帯文にあるようにテンポの良い応酬を見せている。
また中盤に登場する赤久蔵という少年が良い味を出している。
まず一人称が『小生』ってところがたまらない。
コレを中日辞典に従って『ボク』と訳すか、そのまんま『小生』と訳すかでこの少年のイタさがだいぶ変わってくるが、帯文にわざわざ《憂鬱系中二少年》と紹介されているので後者が正しいのだろう。
この、バッチリ中二病にかかっている赤久蔵の口癖は『十分抱歉』(本当に申し訳ありません)だ。「本当に申し訳ありません。小生は…」と言いながら慇懃無礼な態度で殴ってきたり殺しにかかったりしてくる。
中二病患者赤久蔵と大人気ない鐘夏が繰り広げる命のやり取りは映画のような洗練さがありながらも、それを真横で見ている孟饗が入れる渾身のツッコミが、物語をシリアスにも寄らせずギャグにも偏らせず絶妙なバランスを形成している。
★第2ストーリー《奇肱国》★
孟饗のもとに先日の一件以来交流が出来た赤久蔵が美少女の生首というとんでもないプレゼントを持ってきた。しかも何故かまだ生きていて、口を開けばわがままばかり言う。
その美少女は有名な殺し屋一家の次期頭領丹左膳の彼女であり、彼の兄丹佐木に首を切り落とされていたことが判明した。
彼ら一家も赤一族と同様に人ならざる者たちで、片手さえあれば生きていけるという暗殺者の家系だった。孟饗たち3人はまたしても人外一家のお家騒動に巻き込まれてしまう。
首だけの美少女と聞くと韓国発の某生首ギャルゲーを思い出すが、ここではむしろ聊斎志異のような怪異色が濃い。彼女が首だけの状態のまま生き続けられている謎なんか道教思想が垣間見える。
しかし赤久蔵といい丹左膳といい、中国の裏社会に古くから存在する一族の末裔がなんで日本の時代劇めいた名前なんだろうか。
★第3ストーリー《窮神》★
貧乏神に取り憑かれてしまった孟饗。このままではめでたい春節早々にインフレが原因で原稿料が引き下げになるという経済法則を無視した不思議現象が起きるだけではなく、1年間金に困窮することになる。
貧乏神に退散してもらうためには彼の望みを聞くしかない。
貧乏神の“息子”を引きこもりから更正させるべく、孟饗と鐘夏そして赤久蔵は協力して一芝居を打つことにする。だがその“息子”は頭のネジが外れたとんでもない狂人で……
貧乏神を追っ払うだけという小説中一番ほのぼのとした構成でありながら、マフィアよりも殺し屋よりも危険なナチュラルボーンキラーが登場する。だから一番ギャグテイストの強い作品になっており、孟饗のツッコミも留まるところを知らない。後半の地の文のほとんどが彼のツッコミだ。
・堂々としたネタばらし・
本書に登場するキャラクター同士の掛け合いを見ていて、何かに似ているとずっと思っていたのだがその答えは作者自身が後書きで出してくれた。
もう少しだけ告白するとボクは《銀魂》という作品が好きで、キャラ設定をする際もこの作品に偏ってしまう癖が確かにある。だがボクはやはり《銀魂》と区別したいと思っているし、中国の伝統的な特色を持つ作品を書くことが出来ると思っている。
そう、この本のリズム、特に会話のテンポが日本の漫画《銀魂》と酷似しているのだ。
ツッコミ役の孟饗が新八、だらしないがやるときはやる鐘夏が銀さん、マイペースで慇懃無礼な赤久蔵が沖田、そして大食らいの蘇弥里を神楽に置き換えると《銀魂》がとても上手に中国語で再現できていることがわかる。
この銀魂らしさは本書の売りの1つに違いない。だが決して借り物だけで勝負している作品ではない。作者の本領である怪奇描写には見慣れているがオリジナリティもある中国らしさが存在している。
・入れ子の謎・
この小説は作中作の手法が取られている。読者が読む全3話の物語は引きこもりの二流小説家が少女に語っているストーリーだ。だからその物語の真偽はともかく、物語の主人公孟饗が話者と同一人物であるのかも判断できない。
不死の一族も貧乏神もそして孟饗や鐘夏すらも二流小説家が創り出した虚構の可能性もあるのだ。
物語の主人公の名前《孟饗》(meng xiang)が、妄想や夢を意味する《夢想》(meng xiang)と発音もアクセントも一緒であることにも作者の意図を感じないわけにはいかない。
・終わりに・
作者の王雨辰は後書きをこう締め括っている。
はじめて書いたライトノベルなので正直心中気が気でない。結局中国大陸のオリジナルライトノベルのジャンルは、読者でも作者でも日本の漫画とライトノベルに深い影響を受けているので、はじめの頃は模倣が不可欠だ。でもみんなの熱い応援があればきっと中国らしいライトノベルの道を進むことができると信じている!
非ライトノベル出身作家が手掛けたライトノベルが今後このジャンルにどのような影響を与えるのか。彼自身は中国怪奇小説との融合を企てた。
オリジナル性を見出せない後続の作家たちが、既存の漫画やアニメのノベライズみたいなラノベを濫造するのだけは勘弁してもらいたい。