19世紀末、ワイオミング州にある銀山の麓に20マイルという住民が15人しかいない炭鉱街があった。ディスティニーという町とおどろき銀山の中間にあるこの村は、銀山に出稼ぎに来る炭鉱夫相手の商売で生計を立てている。
ジョーカーしかいない娼館に、硬いステーキを出してくれるホテル、鉱夫のために何でも品物を取り揃えている商店、そんなゴーストタウンに一人の青年がふらりと現われた。青年マシュー・ダブチェクはリンゴ・キッドを自称して、陽気な性格と口八丁を使って街の住人と親しくなり、この忘れ去られた街の住人を相手に『なんでも屋』を営む。
そんな中、街に3人の脱獄囚がやってくる。脱獄囚のリーダーことハミルトン・リーダーは街中から武器を取り上げ、たった一夜で住民を恐怖で縛り上げ20マイルを支配しようと企む。
ストーリーは取り立てて珍しくはないが2人の主人公の造型が、三流の西部劇になってしまいそうな物語を何度も歪ませて味のある仕上がりにしている。
炭鉱街に流れ着いたマシューは父親の形見である、見た者がみな驚歎するほどデカイ、時代物のショットガンを背負っている。一発撃ったら反動で手首が外れるほど強力な威力のショットガンだ。
うら寂れた街に年代物のショットガンを背負った若者がやってくる。全く絵になる姿だが、マシューは街の住人と若者が持つ快活さと彼自身が持っている影、そしてすぐに他人の話に合わせられる性格を使って仲良くなる。そこには従来のガンマンが持っている渋さも凄味もない。
それに本来は異邦者として街の悩みを追い払う役割を帯びている彼自身解決できない大きな悩みを抱えており、リンゴ・キッドを気取っている彼は正義の味方になれない。
もう一人の主人公リーダーは大人物のクズ野郎という男で、刑務所でも忌み嫌われた存在だった。刑務所で本を読み続け中途半端なインテリになり、外国人を排斥しアメリカを世界最強の国家にしようとする頭の悪い愛国者は20マイルの銀を資本に軍隊を持とうと本気で考えている。
彼の暴力は『言葉』だ。軽口を叩く調子で相手を怯えさせ、ちょっとでも腹が立つことがあれば偏った思想の熱弁を奮い相手に反論の隙を与えない。彼の口から出る言葉で不快にならない人間はいないだろう。
物語は2人の主人公の空回りで進行する。
叶いもしない妄想を吐き大言壮語を口にするリーダーはマシューに同情されこそすれ最後まで誰からも理解されることなく死に、災害のように扱われる。
そしてリーダーを倒したマシューは住人にヒーローとして迎えられるどころか、リーダーの邪気に当てられた繊細な彼自身は街を暴力ではなく秩序で支配しようとし人々からキチガイ扱いされてしまう。
そして彼らの空回りが終わると街の住人の時間が進み始めるのである。
登場人物の魅力に溢れ、何よりも台詞回しが素晴らしかった。もう一度読みたくなるような小説だ。