私は見たことありますよ、ハハッ、中国でですけどね。
中国小説の授業で話題が『首吊り死体』になったときに教授が事も無げに言い放った。この言葉がボクに中国にのめり込む人間が変人だという偏見を確かにさせた。
教授が中国で死体を見たのは三十余年も前のこと。雲南ではまだ象が暴れていた時代の出来事です。幸か不幸か、ボクはまだ死体を見たことがない。たまに道ばたで寝転がっている肉体労働者や乞食や子供を見かけることがあるぐらいだ。
この著者は若いときに香港で見た無惨な死体とそれを扱う報道の姿勢に好奇心を持ったことが著書の執筆につながったそうです。やはり中国研究者は変人が多い。
著者の樋泉氏は中国研究家の間では有名な方だそうで、本書は実地調査に基づく文章も多い。
中国では今でも風水に基づいた埋葬をしているとか、名古屋人の結婚式並に派手な葬式を行って散財するとか、あの世の生活が楽になるよう遺体と一緒にお金ばかりか電化製品までも納めたりするとか、中国人の葬式観念が知り得る良書。
中国人の死体観とは何か。
中国人は遺体をそれこそ丁重に扱い生きている人間と同様に大切にするが、死体に対してはときには物と同じようにしか見ない。その死体が仇敵のものであれば苛烈な仕打ちを働き、死者に鞭打つのもためらわない。
中国人が死体に向ける愛憎は半端ではない。
大切な子供が病魔に冒され死んだとき、昔の中国人はその子供の死体を散々に嬲る。憎いからではない、憎いのはその子供に取り憑いた悪魔である。だから悪魔を追い払うために愛しい我が子の遺体を陵辱するのだ。
悪魔退治のために遺体を傷つけるのと、憎らしい相手を痛めつけるのは感情こそ違え見かけは同じである。
知らない人間なら薬にもするし肉にもする。そりゃ知人の肉を食うのと他人の肉を食うのとでは後者を選択するだろう。だが飢えの極地で家族の肉を口にするほかなかった状況もあった。しかしそんな中でも一般的には他人に遺体を食われないように寝ずの番をしていた。
中国人は死体が入る墓を大事にするようだ。だからこそ満足な墓が用意できなかったり、葬式のために遺族が困窮するなどの不幸も起こる。
日本人はお墓の形を故人が好きだった物にすることで差別化を図っているが、中国人は墓所でまさに差別をしている。
ボクが以前行った墓場には一般人の墓とは別に革命烈士や共産党員の墓所が用意されていた。ちなみに無断で入ろうとしたら警備員に止められました。
土葬が禁止され、風水で定められた土地にも自由に埋葬できず、質素で簡略化した葬式が政策で推し進められる中国人に最後に残されたものは『共産党』というブランドなのかもしれない。
追記
愛する死者のために別人の死体を火葬し、政府の目を潜り禁止された土葬を行う。
明治時代の日本でも似たようなことがあった。旧弊を駆逐するために埋葬方式を変更したのだが、従来の方式を捨てきれない民衆は少なくなかった。
ある村の風習で、妊婦が死んだときは化けて出ないようにお腹を割って赤子を取り出すという埋葬方式があった。
村民は禁止されていた割腹を行い、死体損壊で摘発されることになる。(結局不問とされた)
しかし、火葬する死体までも作って商売にしてしまう中国人の商魂には震えが走る。