福爾摩斯症候群(ホームズ症候群)
(フランス語タイトル:Le Mystere Sherlock)著者:J.M.Erre
仕事が一段落付いたので久々のブログ更新。
でも紹介するのは中国ミステリではなくフランスのミステリ小説で、その中国語版を読んだ感想だ。
本書は中国で2017年に発売されたが、オリジナルのフランス語版は2012年に出版されている。日本ではまだ未翻訳のようだ。
ちなみに作者は今年8月の上海ブックフェアにゲストとして参加している。
スイスの山奥にあるベイカー街ペンションが雪で外界と隔絶された。その4日後、ペンションから警察に助けを求める電話がかかってきたが、駆けつけた警察が現場で見たものは宿泊客11人全員の死体。電話をかけた者もたった今死んでしまい、ここで何が起きたのか説明できる者はいない。そこに音もなく現れたのは名探偵・レスタード。フィリッポ刑事はレスタードと共にペンションに残された日記を調べる。そこには密室と化したペンションでホームズマニアたちが次々に殺されていく様子が記されていた。
ペンションに集まったのは全員、シャーロック・ホームズが実在したと信じるぐらい生粋(重度?)のシャーロキアンばかり。彼らは世界で唯一ホームズ学を講義できる教授の席をめぐり、ペンション内で誰が一番のシャーロキアンなのかを競い合うことに。コナン・ドイルの未発表原稿を持って来る者、アルセーヌ・ルパンがホームズの子孫だったと言い張る者、ホームズが実在していたという証拠を提出する者、果ては自分がホームズの子孫だと名乗る者も現れて各々がシャーロキアンぶりを披露する。しかし大雪で封鎖され密室となった館には殺人鬼がおり、彼らは一人ずつ殺されていく。
先制パンチがうまい。
登場人物の一人グレッグはペンションへ行く道中、タクシーの運転手の外見を見てホームズよろしく推理を披露する。しかしそれがてんで外れたどころか、運転手からお前みたいなホームズ気取りを今日は何人も乗せたとさえ言われる。
ホームズらしく振る舞っていたところに思わぬカウンターを食らって赤っ恥をかく彼と他の参加者の醜態を見ると、彼らがアマチュア探偵以下のいちファンに過ぎないということがわかり、これから雪の山荘に閉じ込められるというミステリでは鉄板の展開が待ち構えているというのに先行きが不安になる。
彼らシャーロキアンは何者かに次々と殺されていくわけだが、本作に登場する殺人方法はどれも別に凝ったトリックは使われない。それどころか他の生存者たちがそれを殺人だと疑わない事件すらある。なぜならペンション内にいる全員にアリバイがあるわけだから、殺人の可能性を考えずに事故か何かという結論を出すのだ。
本作の肝はまさにここで、ホームズ脳の彼らはみな「密室内に自分たち以外の人間がいるはずがない」と思い込んでいる。さらに警察も密室内で全員死亡となれば、そこから先に思考を進めることがない。
事件の当事者がいない以上、眼前に出された証拠がそれで全てであるのかどうかわからず、そしてそれら全てが真実かどうか判断できない。その現場で一体誰が主導権を握るのかと言えば、それは探偵だ。本書は探偵が事件現場で持つ発言権の大きさと、探偵への信頼が盲目的な性善説に基づくということをブラックユーモア溢れる筆致で描いている。
結局のところペンションに集まった彼らはホームズマニアというだけで、まともな推理などできず、極限状態に追い詰められた彼らはアガサ・クリスティを読んでいる者を魔女裁判のように槍玉に挙げたり、自分たちの現状がまるで某古典有名ミステリそっくりだと真相がわかった気になったり、ついに怪しい人物を拷問にかけて犯行を自白させようとする。そして死人が出ていると言うのに相変わらずホームズ談義を繰り広げるのだ。
あまりにもバカバカしく、そしてミステリマニアをコケにするような内容だが、肝心のトリックは犯行が作中のカメラワークが及ばないところで行われているとは言えアンフェアではない。登場人物たちは実現不可能な犯罪が実際に起こっているのだから考え方を変える必要があったのだ。
本書にはコナン・ドイルの未発表作などが出てくるがそれは存在しか明らかにされず、作品の中で作中作の形で登場することはない。テーマに合っているのだから、コナン・ドイルの未発表の中身という創作物を書いてページを埋めることもできるし、ホームズの子孫とされている人物の過去をでっち上げるだけで一章まるごと水増しすることも可能だろう。
昨今の水増し中国ミステリを読んだ身からすると「もったいない」ポイントが目立つ。だがそれらを余分な物として削ぎ落とし、中国語版でたった250ページ以下に抑え、結末にのみ焦点を絞っている。
とにかく、長編小説の中に登場人物が考えた短編小説を挿入してページ数を増やす真似をする作家は見習って欲しい。
アガサ少年探偵所-鳥小屋の影 アナ・カンポイ
(阿加沙少年偵探所―鳥房夜影 Ana・Campoy)
本書はスペインの有名なジュニアノベルシリーズの中国語版です。以下のサイトでは『アルフレッド&アガサシリーズ エルスターの10羽の鳥』というタイトルになっていますが日本語版はまだ出版されていないようです。世界的に有名な実在の映画監督と小説家が子供の頃に出会い事件を解決するというパラレルワールドを描いています。
LOS DIEZ PÁJAROS ELSTER (SERIE ALFRED & AGATHA)《エルスターの10羽の鳥(アルフレッド&アガサシリーズ)》
ロンドン東部に暮らす11歳の少年アルフレッド・ヒッチコックは親にイタズラがバレて放り込まれた留置所で冤罪を訴える男ヴィドックから伝言を頼まれる。だがその伝言の相手とは自分と同年代の少女アガサ・ミラー(のちのアガサ・クリスティ)だった。自分の屋敷の庭師であるヴィドックの冤罪を晴らし真犯人を捕まえるようとするアガサに半ば強引に付き合わされることになったアルフレッドは彼女の愛犬で尻尾が二本ある奇妙な犬のモリトールと一緒にアガサの隣家エルスター家で発生した盗難事件を調査する。
本書にはヒッチコックとアガサにまつわる実際のネタが多数散りばめられています。アルフレッドが留置所に入れられるのもヒッチコックの実体験から来ていますし、事件の中心であるエルスター家の主人のエルスター夫人が鳥を大量に飼っているという設定は彼の映画『鳥』を想起させます。アガサの執事の名前がエルキュールなのは言わずもがなです。これらのネタは本書の最後にちゃんと説明されていて読者には嬉しい配慮です。
アルフレッドは家が貧乏で労働者階級が多く住むロンドン東部に住んでいるのに対し、アガサは貴族街に住むお嬢様で屋敷には執事までいます。ですがこの貧富の差で二人に軋轢が生じることはなく、むしろアガサは両親が毎日家にいるアルフレッドを羨ましく思っていて彼を差別することはありません。このあたりは児童書らしい道徳観です。学校では冴えないいじめられっ子でギークのアルフレッドはアガサにせっつかれて最終的にはロープを伝って屋敷に侵入するまでの行動力を持つようになり、アガサとの出会いによって自信を付けます。
実際にアガサとヒッチコックって実際には接点があったのでしょうか。このシリーズでは巻ごとに特別出演のように有名人が登場します。2巻ではコナン・ドイル、3巻ではエジソンと言ったキャラクターが出演していますが、おそらく実在の人物にちなんだ事件に巻き込まれるのでしょう。
本シリーズが日本語訳される日が来るかはわかりませんが、中国以外にフランスやイタリア、ギリシャなど数十カ国でも既に販売されています。児童書らしく子どもたちの冒険が存分に描かれてハラハラされますし、日本では馴染みのある欧米の偉人らが続々登場するので遅かれ早かれ日本語版も出そうです。ただ、中国語で200ページぐらいあるから日本語にしたらもっと分厚くなりそうです。
The Baker Street Letters (著)Michael Robertson
福尔摩斯先生收 (訳)王欣欣
アメリカ発のミステリー小説中国語翻訳版。格好良い装丁に目を惹かれて買ったのだが、帰宅後調べると本書がまだ日本では翻訳されて発売されていないことを知り、読む前から喜びを味わった。ちなみに本書は大陸よりも先に台湾で出版されていてベストセラーとなっている。
主人公のReggie(中国語で雷吉)は弁護士事務所を自分の弟Nigel(中国語で耐吉)らとともに立ち上げたのだが、その住所が世界で最も有名な探偵事務所があった場所、ロンドンのベーカー街221Bだったので連日届くシャーロック・ホームズ宛の手紙に悩まされていた。
事務所を設立する以前からずっとこの住所宛に届いた手紙の数々を保管してある倉庫を整理すると、20年前にロスアンゼルスから何かのデータ表が同封された『父親を探して欲しい』と書かれた女の子からの手紙を発見する。しかし奇妙なことにその手紙が届いた20年後となるReggieたちが事務所を構えてから再び、その女の子と同じ名前同じ筆跡の手紙が届く。
最近、青空文庫を重宝しています。
僕自身、大学時代は新青年小説を読んで探偵小説フリークに、そしてミステリ好きになった人間なのでこのようにちょっとダウンロードするだけで大好きな夢野久作や海野十三などの新青年出身作家の作品を読めてしまう青空文庫には本当に頭が上がりません。
中国の大学内には『コピー屋』があります。一枚0,1元(1,5円)でペラ紙一枚から教科書一冊までコピーすることができるし、またUSBを持って行けばファイルも印刷できるので、そこで青空文庫の小説を200枚ほどまとめて印刷しています。
夢野久作が新聞記者時代に書いた『街頭から見た新東京の裏面』や海野十三の『敗戦日記』をちゃんと紙に印刷して横書きの状態で読むと、定められた形式の日本語しかない中国では逆に新鮮に感じます。中国には日本人向けの雑誌は多いが小説が足りない。
僕自身、東京には全く思い入れがありませんが夢野久作の新東京裏紀行文を読みながら今の北京の情景を重ね合わせると、自分でもこういう地に足の着いた、勝手口からものを視ているような生活の臭いがする文章が書けるんじゃないかと錯覚したりして、建設中のビル一つを見てもなんだか物思いに耽られたり出来る。
また海野十三の敗戦日記は流石小説家が書いただけのことはあり、日記とは言えかなり詳細な記録が記述されている。SF作家らしく原子爆弾に筆を費やしているが、敗戦後には海野十三としての断筆宣言をしている。
そして彼が海野十三のPNを捨てたあとにこのようなことを書いているのには興味がいった。