例えば人に友人を紹介するとき、まず始めにその友人がいったいどんなヤツかを説明するでしょう。でも人の姿や性格を表現するのは大変なことです。
「明るいよ」とか「丸顔だよ」とか言ったところでそれは発言者の主観に過ぎず、いざ会ってみたら「どこが丸顔だよ、丸って言うか楕円じゃねぇか」っていう事態も起こりえるわけです。
「誰に似てるの?」
「速水もこみちに似てますね」
「速水もこみちってアレ?ラフってドラマに出てた背の高いヤツ?アイツ、日ハムのダルビッシュみたいに格好良いよな」
「うーん、まぁそうですね」
「ってことはソイツはダルビッシュ似なのか、そりゃいい男だな」
「いや、似てるのは速水もこみちであってダルビッシュじゃありません」
「でも似てるじゃん、その二人」
(´・ω・`)ショボン
お互いの趣味嗜好を理解している親しい間柄同士だったら、人を形容する言葉を自由に選べるでしょう。相手にわかりやすい言葉を選んで、相手が知っている有名人や芸能人を例えに出せばいいのです。
「体格的にはノアの丸藤っぽいけど、顔は松本清張で髪質は大泉洋、雰囲気は長瀬智也がやった池袋ウエストゲートパークのマコトっぽいですね、でも声の質はプロ麻雀士の馬場さんかな」
「ツラが致命傷だな」
となるのです。
ネットを巡回してたらおもしろいもの見つけたさんでオモシロイ動画を見つけた。
二つある動画のうち、上の方は英語でこの動物園の詳しい場所も書かれていないから特定できなかったけど、二つ目の日本語字幕が付けられたイギリスのニュース番組動画に出た動物園は見覚えがあった。去年行って来たハルピン東北虎林園(通称ハルピン野生動物園)だった。
でもその動画はそんな懐かしいものではなく、その動物園で行われている残酷ショーとそれを楽しむ中国人を批判するニュース映像だった。You tubeの元動画でもおもしろいものを見つけたさんでもコメント欄で議論が白熱してるので、他にはどんな意見があるのかといろいろネットで調べたら、このハルピン動物園の残酷ショーは2007年5月25日にも日本のメディアで取り上げられたことがわかった。
上では中国人が日本語を使って中国バッシングをする日本人に意見しているので、中国での反応はどうなのか中国版グーグルの百度でいろいろ検索をかけてみたけど、出て来るのは人食い虎や共食い虎ニュースばかりで当動画は見当たらなかった。だから大陸にいる中国人がこれら動物園をどう見ているのかは不明。確かに上記二つの事件の方が重要だわなぁ・・・・・・
気に入らない人物の個人情報をネットユーザーが一丸となって暴き出すことを人肉捜索と言います。情報を提供する人間はその人物の友人だったり同僚だったり元恋人であるかもしれません。彼らによって電話番号から職場の住所まで個人情報の全てを上げられると、そこからネットユーザー(中国語で言うと網民)のバッシングが始まります。
人肉捜索に関する有名な事件は去年の四川大地震の時に暴言を放った女の子のものでしょう。ニコニコ動画にも上げられてましたが、地震被災者に対し「もっと死ねばよかったのに」と女の子が言い放つ動画を見た網民(ネットユーザー)たちが、そら獲物が見つかったぞと瞬く間に彼女の個人情報を暴き出しました。
日本だとミクシの犯罪告白日記(KFCゴキブリ事件とかキセル乗車など)からの日記炎上→ネット・現実世界双方での祭り状態が有名ですね。
事件の発生から個人情報アップ、そしてバッシングという一連の流れを広い意味で人肉捜索と呼ぶようで、日本語の『祭り』とニュアンスは似ているかもしれません。
しかしそのようなネット暴力を指す人肉捜索とは別に、中国にはというのがあります。
その内容のほとんどは被害者による犯罪者への告発です。つまり自分を被害に遭わせた相手の顔や名前や経歴などをネットに書き込んで、彼の消息を警察でもなく探偵でもないネットユーザーに探して貰う仕組みになっているんです。また、身元不明者の捜索にも使われていてネット上の人捜しとも捉えられますが、顔写真から身分証のナンバーまで掲示するあたり日本の人捜しサイトよりも凄まじい執念が感じられます。日本なら逆にそっちが個人情報法違反で捕まりそうですけど、こっちの警察ってネットユーザーより頼りにならないんでしょうね。
このように一種の社会問題になり2008年の流行語にも選ばれた人肉捜索を題材に扱ったサスペンス小説があります。その名も、『人肉捜索』です。
今回は、史上初の推理小説と名高いエドガー・アラン・ポー作の『モルグ街の殺人』をレビューします。
ポーが世界で初めて全ての証拠を読者に提示する作品スタイルと、論理的な解釈を行う探偵像を創り出したのは最早ミステリ業界の常識でありますが、古典となった現在ではその常識だけが一人歩きしていてミステリファンとは言え目を通している読者は少ないんじゃないでしょうか。
ただ彼らが手に取らない理由も分かります。モルグ街の殺人事件は現代ではもう通用しません。
まず書き出しに、チェスとドラフツのゲーム性の比較から凡人と探偵の分析能力の違いを説明していますが、ここはわかりにくい。
ドラフツはチェスよりも手の読み合いが必要になる、そういう意見には私も同意せざるを得ませんがしかし一般人にこの例えはもう理解できないでしょう。後世に残る作品なのだから、ゲームのブームぐらい見計らって貰いたいです。
本作最大の見所はなんといっても犯人です。世界で初めて密室犯罪を扱った作品でもある本作が古典たるにふさわしい原因は、犯人が人間の手には負えないモノだったというところが大きいと思われます。
作者が作品内に犯人像を描写するときはもっとも精細な筆致を用いなければ、勘の良い読者にはその粗忽を見抜かれ至高のトリックも二束三文なペテンになりかねません。丁寧さと誠心誠意をもって事件の核心部分を精密に描き出すことが、推理小説家の腕の見せ所であります。
犯人の姿が明らかになる箇所は事件の目撃者、正確に言えば『聴いた』人物たちの証言を探偵であるオーギュウスト・デュパンが検証するところです。犯人の叫び声を聞いた彼らは一様に外国人が犯人だと言いますが、彼らが言う外国人はフランス人であったりイタリア人やロシア人であったりとバラバラで統一しません。
ここで私はピンと来ました。
おそらくポーは情報を過剰に出して推理ミスを促すように書いたのでしょうが、第三者の視点で物事を俯瞰できる読者にはこれは逆効果です。外国人一人の国籍を当てるにしたってこんなに意見の相違が見られるということは、もしや犯人は人間の声を発していなかったんじゃないか、つまり人外なんじゃないかと思い至るのも仕方ありません。
ならば現場の状況から見て犯人をオランウータンと結論付けられるのも時間の問題です。
チェスとドラフツの話を引き合いに『読み合い』を述べた今作ではありますが、下手の一手を好手と捉えた者たちが慌てふためくトリックの展開には警察の初動捜査のミスと言わざるを得ません。
さて、読み合いと言えば格闘技の世界もコンマ一秒を争う、チェス以上の攻防が求められます。ホームズも東洋の武術『バリツ』を会得していたからこそ命が助かった場面がありますし、今度から探偵は頭脳よりも肉体面を重視しては如何でしょうか。