古書店に行っても目当ての本が見つからない。こんなことしょっちゅうだ。そういうときって皆さんはどうするだろうか?
手ぶらで帰る?それはもっともな意見だが、ちょっと肝心なことを忘れている?確かに、古本屋なら長居しても手ぶらで帰ることに抵抗はない。しかしその場所が古書店だったら?本に囲まれているのに全然楽しそうじゃないお爺ちゃんがいて、20年前の実用書にまだ平気で半額の値を付けていて、店内で一番面白い本って店主の周りに転がってるんじゃないかって誤解する古書店で手ぶらで帰れるだろうか?
そもそも古書店なんて長時間本を読むところではない。本棚をざっと見上げてお目当ての物がなければさっさと立ち去ればそれで済むことだ。だが気になる本を見つけたら手に取ってパラパラ読んでみたくなるのが人情というもの。そして「ふんふん」「へー」など店主に聞こえるかどうかの声量でうなずき、裏表紙ではなく見返しに付いている値札を見て棚に戻す。
さっ(棚から本をつまみ取る)
パラパラ(目次と後書きに目を通し、コレが何の本で作者はどんな人物か調べる)
へーほー(中身を読み理解をしたフリをする)
あー(予想を上回る値段に驚く)
この動作を繰り返すと店を出るタイミングを完全に逃す。
自分以外の客は頃合いを見計らって出て行っているので、いま店主に注目されているのは自分しかいない。
さてここでどういう行動を取ればいいのか。
一番良いのはすぐに帰ることだ。
今さっき読み散らかした本は内容も値段の面も及第点ではないし、目的のものがないのだから無理に買うことはない。
しかし、トイレを借りるためだけに入ったコンビニで105円の飲み物を買うような人間は手ぶらでは帰れない。タダ読みをした罪悪感よりも羞恥心に負けてしまう。
だから恥をかかないため、もしものときに買う本(バーター)を決めておいたほうがいい。古書店には何も発行部数1000部とかの稀書ばかり並んでいるわけでもない。むしろ大衆向けの一冊何百円の本の方が本棚の大部分を陣取っているのだ。
すこぶる愛読しているわけでもないが部屋にあればいつかは読むだろう、そんな自分の感性にあった本を書く作者の著作を選んだ方が良い。
東海林さだお・椎名誠・中島らもあたりが望ましい。ナンシー関でも群ようこでも西原理恵子でも良いが、この人選をミスると古書店にいる時間がまた延びる。
中島らもははまればこの人のエッセイほど面白いものはない。だが既に故人であり作品に限りがあることと、作品のクオリティがピンキリで特にエッセイ集は一冊に同じエッセイを掲載していることもあるので買う前には注意が必要だ。
椎名誠もエッセイは面白いが小説になるとなかなか人を選ぶ。街から少し外れた道を走るバスに乗っているときに開くのが最適な本だ。ここで行き先が海とか山とかアウトドア的な場所であっちゃいけない。郊外にあるビデオショップ屋に取り立ててあてもなくレアCDを探しに行く最中に読むのがベストだ。
東海林さだおは食事中、用便中、地下鉄の中、ご飯が運ばれてくるまでの手持ち無沙汰な時間を埋めるのに最適だ。四コママンガもエッセイも読んでいて飽きが来ない(ポテトチップ的な意味で)。今まで出した本の数も桁が違うのでどんな堅い古書店にも置いてあるだろう。
人によっては東海林さだおは絵がヘタ過ぎて読めないとか、椎名さんはサービスが悪かった店を何冊にも渡って執拗に罵倒するところが生理的に受け付けないということもあるだろう。
そこでバーター本を買う上での条件を下に列挙しようと思う。
・文庫本であること(小さいし安価であることが最低条件)
・その作家が多作であること(10冊程度の著書では1冊でも駄作があると辛い)
・難しい本は止めておく(哲学書でも社会評論でも別に良いのだが理解できる範囲で)
・気軽に読めるもの(積ん読回避・読まないものを買うのは浪費)
・安い(あくまでも古書店から手ぶらで帰らないための小道具なので。3冊100円のワゴンブックを1冊30円で買う気概が必要)
・買った本はメモる(多作な作家は中身を読んでも既読か未読を判断するのは困難。同じ本を買うのは浪費)
コレらを意識して古書店に入れば、もう二度とお目当ての本がなくても店主の目を恐れることはない。
しかし、散々迷った挙げ句こんなどこにでもあるような文庫本かよ。と店主からは軽蔑されるだろう。心の声は聞こえないフリはできない…