我的偵探路 著:孟広剛
本書は2006年に出版された中国初の私立探偵・孟広剛氏の自伝です。彼が中国で初めてとなる探偵事務所を興してから遭遇した代表的な事件が紹介されています。
タイトルの『我的偵探路』は翻訳すれば『我が探偵人生』とでも言い換えられるでしょうか。本書の表紙には『中国第一私人偵探真情告白 当代中国福爾摩斯探案伝奇』(中国初の私立探偵の真の告白 現代中国ホームズの事件簿)と書かれており、今から8年前の書籍とは言え探偵=ホームズという相変わらずの短絡的な連想に悲しくなります。中国ミステリも国産化の波に遭って霍桑とか宋悟奇とかの中国人探偵がクローズアップされたらいいのに。
孟広剛は初め公安で働いておりましたが公安だけではできる限界があると悟り、1993年に瀋陽で中国初の探偵事務所・『克頓偵探所』(アラン・ピンカートンのオマージュ)を立ち上げます。しかし、何しろ中国初ということなので役所も探偵事務所の申請など受けたことがないから全然受理されず、創設以前から苦難の連続だったようです。ですがやはり物珍しさもあってかメディアには好意的に扱われました。
ただ、存在こそセンセーショナルではあるもののミステリ小説のように警察の代わりに殺人事件を捜査するなどということはなかったようです。しかし本書で取り上げられている事例を見ますと探偵もその国の文化によってその業務に特徴があるということがわかります。
例えば、金持ちの旦那が愛人を囲っているから何とかしてくれという奥さんの依頼に対して、探偵スタッフがその愛人の彼氏となることで旦那が愛人に愛想を着かせ奥さんの所へ戻すという業務などは浮気調査ではなく別れさせ屋の範疇です。
また本書でも『ホームズすら遭遇しなかった問題』と紹介されている、有名ブランドの模造品調査などはいかにも中国という業務ですが現代ならば法律事務所の仕事でしょう。しかしこの事例、依頼人であるカミソリ会社のアメリカ本社が市場調査にわざわざ私立探偵をリクエストして実際に孟広剛にコンタクトを取る所なんかは、ちょっとズレているなと思います。
本書で紹介されている事例の中で私が一番面食らったのはとある腐敗分子をターゲットにした復讐の依頼です。女好きのターゲットの弱みを握るため孟広剛が使った手段は商売女を遣わしてその情交の様子を録画することでした。女性の協力もあって仕事は見事成功し、孟広剛は依頼人や女性とともに祝杯を交わすのですが、これって要するに『ハニートラップ』じゃないんですかね…
孟広剛の活躍は中国全土にとどまらず、日本のメディアにも取り上げられるまでになります。
「金の次は女か。楽をしてもうけてぜいたくしている証拠だぜ」と日本のテレビ番組でゲスな字幕を付けられている孟広剛。この番組を放送した日本アジアテレビ局ってどこなんだろう。
しかし現在、中国大陸で私立探偵は禁止され、2013年1月までに2,500人を超える私立探偵が検挙されたと伝えられています。
汚職官僚を暴きすぎた?中国で私立探偵を一斉検挙=2500人超えるとも―米華字メディア
そもそも中国ではだいぶ昔から私立探偵の存在は違法とされていたらしく、克頓偵探所が正式に営業した1993年7月から二ヶ月後の1993年9月に公安部から『【私立探偵事務所】的な性質を持つ民間機構の開設を禁止する通知』が発布されています。
ただ、その一方で孟広剛が探偵として大手を振るいテレビなどにも頻繁に出演していることから、この通知の強制力がどれほどのものだったのかが不明瞭です。本書に彼が何故取り締まりから逃れられたのかが書かれていないので推測するしかありませんが、孟広剛の元公安出身という経歴が活きたのか、それとも需要があってお目こぼしされていたのか、そもそもこの通知にそれほどの威力がなかったのかもしれません。
また、この通知は公安や武警などの警察機関が私立探偵事務所を組織したり関係したりすることを禁止しており、これが中国ミステリに探偵を登場させられない一種の『縛り』になっています。とは言え、『上に政策あれば下に対策あり』と言われる中国では、中国ミステリにも堂々と『探偵』を出せることができるのですがその説明はまた別の所で。
えげつない調査方法を駆使する探偵と大金を支払ってまでそこまでさせる依頼人、これじゃあお上から禁止されるのもさもありなんと言ったところですが、こんなんじゃ中国で探偵が子供の憧れの職業にはなるのはまだまだ先でしょう。せめてフィクションの中ぐらい格好いい探偵が描かれていればいいのですが、如何せん私立探偵が禁止されている世界では結局現実には存在しないキャラとして認知されるか、または警察と対をなすアンチヒーローになるのが関の山と言ったところでしょうか。
現実でもフィクションでも探偵が生きづらいのが中国という世界です。