去年のネットニュースで筒井康隆がラノベ(ライトノベル)を書くぞという目を剥くような記事を読み、てっきり書き下ろしだと思っていたらまさかの連載作品。しかもファウスト、二年半ぶりに出版された千ページ以上のノベルスマガジン。
なんで中国にいるのにファウストなんか読めるんだろう・・・・・・
こんなの持っているのは中国広しといえども自分ぐらいだろうと自慢気にページを開いたら、佐藤友哉特集と共に中国サブカル特集がセットだった。これについては別に書きますが、講談社はいま中国をターゲットにしている。マーケットとしてではない、人材畑としてだ。
ビアンカ・オーバースタディは前述したように、『時をかける少女』や『銀齢の果て』など傑作と問題作を生み出す筒井康隆先生が挑戦したライトノベル。
ちなみに《オーバースタディ》とは《勉強しすぎる》という意味。同じクラスのニュージーランド人が教えてくれたものだから本当です。
内容は、簡単に言ってしまえば美少女が男の子をメチャクチャにするという話です。
これだけではよくある強気ヒロインと気弱少年の話になりますがそこは筒井康隆。男の方を搾取される道具としか書いていません。
搾取と言いましたが、本当に搾取されます。
ビアンカは生物部に所属し、ウニの生殖の様子を観察を任されているのですが、それが全然つまんないから人間の精子が見たいなと考えるに至っちゃったんです。
んでビアンカは自分を慕う後輩を連れ込んで、自らの手で「抜いて」やって精液を搾取するんです。そして顕微鏡を覗き込んで「泳いでる泳いでる」と感動します。
え~と・・・・・・どうです?
これだけでも筒井康隆っぽいナンセンスさに満ちていますが、それ以外にも、ビアンカがハルヒのような物言いをしたら未来人が登場したりパロディに溢れています。
ボクが一番期待させられたのは各話の冒頭部分です。三話一挙に掲載されていたのですが、三話とも冒頭部分の1ページが一言一句まるっきり同じという『ヴァニシング・ヴァニティ』方式が使われているんです。
そして物語が急展開を迎える三話目では、暗示のようにその法則が変化したので、筒井さんはきっと四話以降は思いっきり《遊ぶ》んでしょう。
でも正直言いますと筒井康隆にしては何だか吹っ切れていない作品だった気がします。
さっきも言ったハルヒのパロディは陳腐だったし、ビアンカの手淫はコンドーム付きだし。
あと、挿絵はハルヒやシャナで有名ないとうのいぢが担当しているんですが、SFとブラックユーモアの大家である筒井康隆が書いたライトノベルなんだから、挿絵も意表を突くものにしてもらいたかった。と言うより、いとうのいぢって精液とかパンツって描けるんでしょうか。
このビアンカからは全然生きてる臭いがしなかった。これなら七瀬三部作の最終編『エディプスの恋人』で七瀬がセックスをするシーンの方がよほど良い臭いがした。
以前の作品と比べてしまうから否定的になってしまうんでしょう。でも過激さで言えば『問題外科』には勝てない。その内容というのは(以下過激描写につき反転)
女性の手術をミスした外科医がバレるのがイヤでどうしようかと、痛がる患者を放って考えていると、そこにネジがとんじゃった外科医部長が登場する。部長は全裸の女性を見て急に興奮しちゃって強姦しちゃうんだけど手術の麻酔のせいで女性器が弛緩していて全然気持ちよくないから、縦一線に開いたお腹に手を突っ込んで子宮を鷲掴みにしてペニスをしごき、オナニーなのかセックスなのか判断しかねる性交に及ぶ。
というもの。
それに比べたら後輩のペニスにコンドームをかぶせて手淫をするなんて可愛いものだよなぁ・・・・・・こんなの今までのライトノベルにはなかったことだけど、筒井さんだったらよくあることじゃん。むしろゴムなしのフェラチオだよ、普通は。
あと手淫で使ったコンドームはビアンカが暴漢対策に持っていたものなんですけど、彼女の防犯意識がそのままライトノベル業界の限界を示したって雰囲気でした。
筒井さんはなんでラノベを書こうと思ったんだろうなぁ・・・・・・
でも
わたしがゆっくりと、ゴムがはずれないように強く握ったままでこすりはじめると、彼はぞくりと背中をしゃくりあげるように動かしてから、うわごとのように何か言いはじめた。
「あっ。女王様。あの。それはもう、あれです。こんなことが。自分ではとても、とても女王様、とても我慢なんて。これはもう、あれです。ビアンカ様。あれは、もう」
というシーンで「ああ、やっぱり筒井さんだぁ」と安心して吹き出してしまいました。うんうん、これは成人漫画やゲームでありがちな女の子が卑猥な言葉を口走ってしまうことへの諷刺だろうなぁ。
単行本で読むべき小説でした。