買ってしまった幽霊ネタ四コママンガ。霊媒先生と書いてるけど、ぬーべーみたいに妖怪とガチバトルしたり除霊をしたりするわけではない。あくまで幽霊を呼んでしまう先生と、その周りにいる生徒が主役であり漫画に出て来る妖怪や幽霊にキャラクターはあまりない。
この表紙を見てもらってもわかるとおり主人公のキバヤシ先生は霊媒先生と言うだけあってなかなか癖のある外見をしている。
花子さんのようなおかっぱ頭に麻呂まゆ毛、バッチリ大きく見開いた眼に点のような小さな黒目。不健康を代表する目の下のクマ。首にかけている大きな数珠と滝行のときに着るようなノースリーブのワンピースは決してお洒落なファッションではない。
同じ霊能者教師ぬーべーの左手のみ黒手袋なんて個性派教師としてはまだまだヌルすぎる。
この霊媒先生は現実社会にはまずいない外見をしている。しかし身体や思想が一般人とギャップがあり偏っている女の子ほど慈しみ保護したくなる。つまりは『萌え』の対象になる。
モンスターペアレンツと聞いて本物のモンスターを思い浮かべそれならむしろ大丈夫だと勘違いしたり、女子学生のブルマが高く売られていること(ブルセラ)を知らず何がそんないスゴいのか確かめるために履いてみたり、生徒と一緒にメイド服を着てみたら一人だけ死に装束(冥土服)で決めてみたり、霊能者らしい常識外れな言動が目立つのに、先生としてちゃんと教壇に立ち生徒の信頼を得ている。
この微妙なズレ方が無性に可愛い。霊媒先生が持っている『オカルト』という萌え要素が全然あざとくなく、自分のペースで生徒や幽霊と仲良く交流する姿には矛盾した健康さを感じる。
この漫画のスゴイところに連載ペースがある。08年から連載の四コマ漫画なのに現在まで5巻が出ているのは四コマ漫画としては極めて異例。5ヶ月号ぶんしか収録していないのに単行本には8話も掲載されている四次元単行本である。小島功先生のヒゲとボインは74年からやっているのに単行本が出たのは世紀が変わった04年だと言うのに。
さてこの漫画、一つ目小僧や雪女などの伝統的な妖怪に混ざって現代の日常に現われる妖怪というものを単発四コマに出している。
焼きそば弁当のお湯を捨てるとシンクがベコンベコン鳴る現象は実は妖怪だったり、チャンネル換えたいときにリモコンがなくなるのも妖怪の仕業だったりするのだ。
こういう日常の変わった現象を妖怪にするという漫画技法は現代では押切蓮介が有名だ。押切先生が考えた妖怪の中にはシンクベコンベコン幽霊もいるし、部屋に陰毛を散らかす幽霊もいる。この陰毛幽霊はその後イヌギキという有名ウェブホラー漫画にも登場したが、読者からのメールによりお蔵入りとなった。これは剽窃などという見苦しい行為ではなくて、単にホラーギャグ漫画家の視点が似ているからだろう。
しかし現象を妖怪化する表現方法の第一人者は鳥山石燕にあり、現代の大家は水木しげるだろう。鳥山石燕の描いた妖怪は下敷きにされているがそれだけに過ぎず、現在の日本人の心にある古き日本の郷愁的な妖怪の姿は水木しげるが描き表したものである。
実際はすきま風が吹いて部屋のロウソクが消えただけの現象に与えられた吹き消し婆という名前や、木の上にいた狸かなんかが毛繕いをして砂が落ちる現象をコイツの仕業だと勘違いされた砂掛け婆という名前を思い出せば、すぐにあの鬱蒼とした色彩の水木テイストの妖怪を思い浮かべるだろう。他の漫画家も水木しげるの絵に倣って描く。描かなければ実際にいないはずの妖怪のリアリティがなくなるからだ。
ロウソクが不思議と消えてしまう現象なんて時代遅れの出来事だが、焼きそばベコンべコンやTVリモコン行方不明は所帯じみた不思議現象だ。それを怪異とし諧謔の材料にするのは鳥山石燕的な漫画表現だ。
誰もが不思議に思う現象に姿をつける絵描きとしての特権的な行為の結果が人口に膾炙すると嘘が真実となり形を帯び、いつしかその姿以外考えられなくなる。日常に潜む妖怪を描く漫画家は上記以外にもたくさんいるだろうが、彼らによって創り出された姿形の相似する妖怪たちは生み親の知名度や画力に影響されて淘汰される。
そのときにこそ大勢の人の心に姿形の定まった一匹の妖怪が棲み着く。
現代生まれの見慣れない妖怪はオチとして使われることがほとんどだが、メジャー化して説明不要の存在となり、四コマの1コマ目に来る日も訪れるだろう。しかしその際に妖怪の著作権で揉める事態も十分考えられるが。