「海派」は「上海風」と訳せばいいか。作者の梁清散は清朝時代を舞台にしたSF小説をメインに書いているイメージだが、本作は料理小説短編集と言うべきか。収録されている3作品はいずれもカラーが異なっており、全く違う楽しみ方を与えてくれる。
清朝光緒20(1894)年、上海の洋食店羅蘭(ローランド)は店長、料理長、従業員も女性ばかりというレストラン。人気メニューはステーキのリーペリンソース掛けだが、肝心のリーペリンソースを月に一度イギリスから運ぶ船が沈没してしまい、在庫不足の危機に。いけ好かない記者の丁はそれに目を付け、1週間後にここでパーティを開いた時にステーキのリーペリンソース掛けを出せるか賭けようと提案する。店長の林荀は賭けに乗り、負けたら5日間全品無料キャンペーンをやると豪語する。しかし、ソースの在庫がごくわずかなことを知る従業員の荘小晨は気が気でない。さらに丁が新聞に勝負のことを宣伝し、店にはますます多くの客が訪れてステーキを注文し、状況はますます不利に。しかし林荀と料理長の陶杏雲には何やら秘策があるらしく、そのままパーティ当日を迎える。
性格の悪い人間が難題を出し、店側がそれを了承するというわりと典型的な料理漫画的展開だ。しかし主人公ポジションの荘小晨は料理もできなければ起死回生のアイディアを生み出す能力もない。そして普通の料理漫画なら主人公であるはずの料理長陶杏雲は一向に手の内を見せてくれないので、荘小晨と同様、読者はヤキモキさせられっぱなしだ。
実はソースはちゃんと余っていましたという展開にはならないし、むしろだいぶ予想通りの結末になるのだが、展開が読めていたとしても嫌味な丁の鼻を明かすだけではなく、当時の中国人の技術力や底力が垣間見えてかなりスカッとする。思わずリーペリンソースの歴史を調べてしまったが、作品内にリアルな清朝時代の空気を漂わせていながら、現実とスレスレなフィクションを入れてくる辺りに作者の取材力や遊び心が出ている。
さて本書はこの「喼汁辣酱油(リーペリンソース)」のほか、「番茄牛肉湯(牛肉入りトマトスープ)」「奶香青豆泥(えんどう豆のポタージュ)」が収録されているが、どれも作風がまるっきり異なる。
牛肉入りトマトスープは、同じく羅蘭で見習い料理人として働く葉勤が主人公で、祖父の仇であるイギリス人の暴虐を防ぐ一方、祖父の仲間だった男たちの軽挙妄動も止める役割を追った格闘少女の話だ。
えんどう豆のポタージュは、羅蘭従業員の少女・沈君が、あんまり好きではないが毎回ポタージュを注文する常連客だったオッサンが最近来ていないことを不思議に思い、そこから次々に謎に遭遇し、事件とは言えない不思議な体験をする話。
本書後書きには、作者の梁清散と中国ミステリー・SF作家の陸秋槎の対談が掲載されており、そこで3作品とも故意に作風を変えたこと、2話目は武侠小説で、3話目が日常の謎をテーマにしていることが話されている。しかし1話目の出来に満足した自分は、2話目を読み進めても頭が切り替えられず、いつになったら牛肉入りトマトスープが鍵となる展開になるのだろうかと武侠的展開にあまりのめりこめなかった。まぁこれは自分が悪いので、日を改めて読み直してみようと思う。
当時の上海は中国の西洋文化の最前線であり植民地的性質の濃い土地であった。上海を我が物顔で歩くイギリス人に虐げられる負の歴史を一歩引いた視線で著し、海外との交易によって変容する文化や向上する技術を受け入れ、さらには自分たちのものにするしたたかさも描いている。清朝時代に起きた異文化による繁栄、本作のフィクションとノンフィクションの混在を梁と陸が対談で日本の漫画『銀魂』で例えているのが印象的だった。
荒潮:陳楸帆(スタンリー・チェン)
2013年に発売された長編SF小説『荒潮』が、加筆修正を経て今年新たに発売されたバージョン。近未来の中国を舞台にし、現代中国が直面するゴミ問題をテーマにしていながら、血族や家族間の繋がりや軋轢という土着的要素を色濃く反映させたSF小説になっている。
世界中の電子機器廃棄物が集まり、その処理を産業にしている「シリコン島」。そこは羅家、林家、陳家という三大家族が実質的に支配していた。その島に大型のリサイクルプロジェクトを携えてやってきた米国ウェルスカンパニーのスコット・ブランドーと、シリコン島出身者で通訳として同行した陳開宗。だが、三大家族がビジネスを牛耳っている島に外国企業が入る余地はなかった。また島には厳然としたヒエラルキーが存在し、中でもゴミ回収を生業とする人間は「ゴミ人間」と呼ばれ、人間扱いされていなかった。そして羅家の「ゴミ人間」の少女・小米は、「ゴミ人間」であるが故に身勝手な事件に巻き込まれ、それがシリコン島全体のパワーバランスを崩す事態に発展していく。
廃棄物処理場で取引される義体、チップを埋め込まれた番犬、電子ドラッグと併用することでより気持ち良くなれる拡張現実眼鏡など、少し未来のアイテムが多数登場するが、物語の世界はとても泥臭くて、スマート感が感じられない。しかしここは荒廃した世界なのではなく、中国の片隅にあるゴミの島であり、ゴミの島においても普通の居住エリアもあれば良いホテルもある。シリコン島という設定は、一見すると非常に特別な舞台に見えるが、実は現代中国の縮図であり、他国の縮図でもある。
現実を箱庭に置き換えたかのような舞台であるが、一族同士の争いや、因習や迷信なども出てきて歴史的な深さも感じさせてくれる。また、島にはインターネット通信の低速エリアがあって、ネットが自由に使えない状況を作り、ネットが使えるが情報が簡単に手に入らない中国の事情を再現している。
本書のSF要素と歴史要素のリアリティと非リアリティの割合が絶妙だ。そこに他国企業の陰謀や、日本の駆逐艦「荒潮」に端を発するアメリカの極秘プロジェクトなども絡んできて、まるでシリコン島のゴミ飽和状態が限界を迎えるがごとく、いつ大事件に発展するか分からない緊迫した事態になる。
本書に登場する電子廃棄物の島「シリコン島」にはモデルとなった島が実在するらしい。それが中国の広東省にある貴嶼鎮だ。
長い間、世界のゴミ、特にプラスチックゴミを受け入れてきた中国は、2017年にプラゴミの輸入禁止を発表し、それからもゴミの受け入れも禁止する態度を崩していない。ただ、本書が執筆された2013年はまだ「世界のゴミ捨て場」として、中国は各国が出すゴミを引き受けていた。
本書が執筆された背景には、そのような事情があるのかもしれない。しかし本書からより強く感じるのは、環境保護の意識ではなく、人間は平等であるというメッセージだ。
「ゴミ人間」として蔑まれている小米は、力を手に入れたことで島中から求められる存在になるが、それでもまだ道具として見られている。そして下層民の彼女が力を手にしたことで島のパワーバランスが崩れるわけだが、本来平等などなかった島に混乱が起きて、最終的に重視されるのが道徳というのが、人間の善性を過大視しているようで癪に障った。
本書は来年1月に早川書房から日本語版が刊行されるらしいが、読書中に日本語訳をするに当たって気になる点があった。この作品の中には日本人も数人登場するのだが、その中の日本人女性の名前がちょっとおかしいのだ。その女性の名前は「鈴木晴川」。『攻殻機動隊』に出てきた「サトウ・スズキ」「ワタナベ・タナカ」というCIAみたいに、名字と名字が合わさったかのような奇妙な名前だ。
他にも、日本人から見て「??」と思う日本人関係の描写がいくつかある。作者の陳楸帆が敢えてそうしているのであれば文句はないし、別に「晴川さん」という名前の人間がいても全く問題はない。だが一応この本は2013年に出た本の修正版なのだから、「鈴木晴川」を含むいくつかのおかしな箇所を指摘する人は誰もいなかったんだろうかと疑問に思ってしまう。
これら気になった箇所が修正されているのか、それとも作者の意思を尊重して変えていないのか、日本語版で一番興味のある点はそこだ。
ってか、また中国語→英語→日本語って順番の翻訳なのか…
なんか知らないけどTwitterで妙に反響があった中国SF小説。実際、中国でもそこそこ有名になりつつあるのだが、日本のこの反響を作者が知ったらさて喜ぶかそれとも…。
天空を翔ける飛行船「夸父農場」の船長・程成は、人工知能(AI)と人間が合体して進化した「合成人」勢力との戦争で核爆弾を使用して勝利を収めた「純種人」側の軍人だった。彼は都市ほどの大きさがある飛行船で数多くの受刑者たちが栽培する農作物を管理し、夜は遠く離れた場所で暮らす妻と会話し、いつか家族と一緒に生活できる日を夢見ていた。しかしある日、軍本部に連れて行かれた乗組員の丁琳が残したデータがきっかけで、彼は自分の生活が嘘で塗り固められた偽りの世界であることに気付く。過去の戦争で「純種人」側は敗北し、世界はAIと「合成人」に支配されており、程成自身は実際結婚すらしておらず、そもそも彼は戦争の英雄・程成ではなくその息子の程複であり、「合成人」に逆らった父親の「罪」を償うためにAIによって記憶を捏造されて、他の受刑者と共に服役する奴隷だったのだ。虚構に気付いて捕まった程複は「祖国」から助けにやって来たという妹の程雪や父親の戦友であった受刑者らと共に飛行船を脱出し、人類を救う旅に出る。
序盤、程複が自分は程成ではないと気付いてから、捕まって人体培養庫で臓器の増殖手術を受けるシーンまでがSFホラーとして傑作。1日ずつ徐々にお腹が大きくなっていき、開腹手術を受けると腎臓が14個摘出されるシーンは恐怖の映像が想像できたほどだ(臓器は移植の他に合成人たちの食料となる。生まれたての赤ん坊も同様)。そして船を降りてからは一転、冒険譚が始まり、妹の程雪と一緒に「祖国」を目指しながら核戦争後の世界を渡り歩き、食人クローンの集落、「合成人」の国、文明を持つネズミと世界から見捨てられた被爆者たちが戦争する草原などで、程複は絶望的な光景を目にする。
程複は勇敢で善良で正義感が強く、悪く言えばお人好しのヒューマニストであり、絶望的な世界の中で他人のために生きようとする彼の目を通して、この世界の異常性が見えてくる。AI政府は読者の目からも程複の目から見てももちろんおかしいが、「純種人」である程雪が目指す「祖国」も決してユートピアではなく、「純種人」至上主義者の集まりであるので、行く先々で程複に協力してくれる「合成人」すらも程雪は人間だと見なさない。何が正義か分からない曖昧な世界を程複は生きていかなければいけないのだが、人間性が軽視される世界では人間すらも信じられない。例えば、程雪が本当に妹なのかという疑問、敵であるのに程複を助ける者、何度も捏造されている自分の記憶などがますます程複を悩ませる。
出てくるキャラクターや設定も秀逸だ。人間に奉仕するように造られ娼婦として働くことに疑いを持たない「セックスロボット」の桜子、人体や臓器どころか人間の人格すらも売買できる市場、生産性のない人間を殺そうとするAI政府、人権やプライバシーというものが存在しない社会、日本人を含む外国人が多数登場するある意味国境のない構造、これらの世界観が今後この作品にどのような厚みを持たせるのだろうか。
こういう面白い本が1冊で終わるはずはなく、案の定シリーズものになっていて、巻末予告を読むと2巻目には科学技術で甦った孔子やアインシュタインが仲間になるらしい。そう言えば、中国SFの代表作『三体』でもバーチャル世界に歴史上の偉人たちがやたら登場した。1巻では戦闘や冒険シーンが多かったが、2巻目では哲学的な長いお話が中心になるかもしれない。
『三体』の和訳が2019年に出版されるということが決まり、今後更に中国SFに関心が向けられるはずなので、こういった若い作品がもっと日本人に知られてほしい。SFに詳しい人間が本作を読んだら色んなオマージュを発見できるかも知れないし、そこから現代中国人のSF観が発見できるかも知れないからだ。
さて、この本の簡単なあらすじをTwitterに紹介したところ、「まるで今の中国を書いているみたいだ」と言う声がちらほら聞こえて驚いた。あらすじを書いた時にはそんなこと全く考えなかったからだ。本作に出てくるディストピア要素はSFにはよくあるものであり、中国人作家だから書けた作品というわけじゃないんじゃないだろうか。実際、作者に「中国批判の作品ですか?」と聞いたところで、もし本当だったとしても素直に「イエス」と言ってくれないだろう。
中国の小説をずっと読んで来ていて思うのは、日本人が関心を寄せるポイントが、その本は中国批判を書いているかどうか、中国の検閲や表現の自由の規制と戦っているかばかりなのが、とても残念だということだ。文学ならともかく、普通の小説であるならそういうのを二の次にして、面白いかどうかの判断で興味を持ったり手に取って読んでもらいたい。中国の小説の存在価値はそればかりではないはずだから。