中国で一番有名な日本料理といえばラーメン。人気の役割を担っているのが日本に本社を持つ味千ラーメンだ。
九州からトンコツスープを引っさげて上陸した味千ラーメンは、今では中国のファーストフード店の中では吉野家を押さえて堂々の四位となるまで中国人にとってポピュラーになった。()
味の方はと言えば可もなく不可もなく。20元程度で食べられるラーメンとして見れば美味しいのかもしれないが、決してご馳走の部類には入らない。
ラーメン以外に餃子や焼き鳥や揚げ物、どんぶり物や寿司といった多くのサイドメニューがあるおかげでラーメン屋というよりも居酒屋らしい。サイドメニューを増やし集客率を高めたこの商法は、今では北京のラーメン屋の定石になっている。(味千ラーメンが一番初めかどうかは不明)
街のあちこちに出店し、デパートやレストラン街など人通りの多い場所には必ずと言っていいほどあるこのラーメン屋は、ほかの飲食店の中でも目立つ看板が特徴だ。
丸みを帯びたフォントに真っ赤な文字、そしてラーメンどんぶりを持ったチャイナドールの看板は一度見ただけで覚えやすい。
だから先日寄った尚都SOHOというビジネス街で見かけたラーメン屋も、また味千ラーメンができたよ。ぐらいにしか思わなかった。
しかしよく見たらそれは……
長野ラーメン?!
久々にこうばしい香りを出している店が見つかったと単身入店する。
そしてメニュー表を見て再び唖然となった。メニュー表のつくりからメニューの中身まで味千ラーメンに酷似しているのだ。そしてところどころ間違っている日本語訳。
ますますドキドキしてきたボクはとりあえず、一番安くておススメマークがある長野ラーメン(18元)と鳥のから揚げ(12元)を頼む。
ラーメンが来る間にメニュー表に載っているお店の経歴に目を通してみる。
日本のラーメンの起源は中国にある。その原型は明治時代に神戸や横浜にいた中国人が作った中華麺だ。終戦後、日本の各地にいた中国人料理人が屋台や店でラーメンを売り始め、日本人の口に合うようにしょうゆ味へ味付けを変えていった。 そして1980年代後半、各都道府県で独自のラーメン文化が形成され始め、そんな中で長野ラーメンというものも発展していった。 |
(翻訳適当)
ラーメンの起源がどうとか長野に長野ラーメンなんてあったかどうか知らないが、眼を引くのはこのあとの一文だ。
長野ラーメンの創始者は横浜の中華街でラーメン修行をしていた松五郎さんである。 |
松五郎さんって誰?
長野ラーメンの会社のHPに会社概要の全文が載っているが、ここにも松五郎さんについて詳しいことは何も書かれていない。もしかしたら松(名字) 五郎(名前)という中国人かもしれない。
長野ラーメンのマスコットの隣に『松五郎』と判を押してあるあたりかなり重要な人物なのだろうが情報があまりにも少なすぎる。
そうこうしているうちにラーメンがやってきた。もやし、チャーシュー、煮卵、細切りのキクラゲ、そしてアサツキが白濁したトンコツスープの上にトッピングされている。麺は中麺ストレート。ますます味千ラーメンと似てきた。
まずは茶色いにんにく油が散らされたスープをすくいすすってみる。
エグイ
ラーメン食べてエグ味を感じたのなんて初めてだ。
具のチャーシューは臭く、キクラゲは噛むと口中にビニールのようなにおいが広がる。エグ味の正体はたぶんこれであろう。そういえば中国産のキクラゲに黒いビニールが入っていたってニュースがあったなぁと思い出した。
もう一品のから揚げだが、これが軟骨揚げみたいに小さい。それに衣がケンタッキーのようだ。12元だとこのぐらいが妥当かもしれない。
もともとあってないようなトンコツスープの味に飽き、備え付けのオニオンフレークを加える。(これも味千ラーメンと一緒だ)
湿気ている…
あれだけアウトな要素があって美味かったらどうしようかと思ったが、予想以上の味に食後ずいぶん気が滅入った。思わずもう一軒食べに行こうとするぐらいお腹が不満だ。
日本式のレストランは毎月何店舗も出てくる。そしていつの間にか消えているレストランも少なくない。できはじめのお店がマズイのなんて特筆すべきことでもない。
重要なのは、問題点が今後どう改善されるかだ。客のニーズに合わせず我流を貫いて潰れていった店は数え切れないほどある。
この長野ラーメンは上海では40を超える支店があるみたいなので、まさかマズイままということはあるまい。これからこの店が北京にどう対応していくのか気になるところだ。
しかし、創始者の松五郎さんが本当に気になる。メニューをよく見れば松五郎ラーメン、松五郎焼きそば、松五郎カレーなど彼の名を冠した品がたくさんあるが何をもって松五郎なのか全然わからない。
ググっても百度っても何も出てこないんだから。