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栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
34
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      

人民的名義(人民の名の下に)

 

 

現在の中国が掲げる反腐敗を取り扱った衝撃のテレビドラマ『人民的名義』の原作小説である。このドラマは恐らく2017年最も人気の出た中国ドラマとして語り継がれることになるだろう。私も、本来なら中国人と同様にドラマを見たかったんだが、如何せん150分の話が50話以上あり、そんなもん見られないということで原作小説に手を付けた。

 

 


最高人民検察院反貪汚賄賂総局偵緝処処長の侯亮平は官僚の腐敗を取り締まる役職にいるが、ある時大物政治家の国外逃亡を許してしまう。内部による何者かの密告があったと悟った侯たちは京州(架空の中国の都市)にある工場に疑惑の目を向ける。しかしある晩、その工場が火事になるという一大事件が起きると共に疑わしい人物が次々に浮かび上がってきた。だがそのリストに浮かんだ漢東省(架空の中国の省)の省委員会常務委員の李達康の妻の欧陽菁、侯亮平の大学時代の友人の蔡成功らを追っていくうちに誰もが逮捕するのをためらうような超大物まで現れてしまう。そして腐敗の魔の手は侯亮平にまで忍び寄る。

 


 

中国が、と言うか習近平総書記が反腐敗を掲げてどのくらい経ったかよくわからないが、私はこの反腐敗に関して中国当局はもっと強権を振るえているもんだと勘違いしていた。しかし、本書を読むと汚職官僚一人引っ張るだけでも上の許可を得なければならず、独断専行的な行動や、証拠を捏造して無理やり犯人に仕立てあげる等の、要するに正義のためなら何をしても良いとはならないことがわかる。

(注:本書には拷問や自白強要など、当局側のいわゆる人権を無視した行為は一切書かれていない)

また、上の幹部連中も自身は汚職や腐敗を許さないとは言え、自分の部下から汚職官僚が出るとなると話は別で二の足を踏む。

 その良い例が李達康という書記だ。

 彼自身は腐敗を絶対に許さない高潔な人間なのだが、以前彼の部下が汚職で逮捕されてから省の評価が下がり、省のGDP減少を招いたことでできるだけダメージの少ない解決の仕方を望んでいる。しかし、本書では右腕が逮捕された他、妻も収賄罪で逮捕されてしまい彼自身も大ダメージを負った。だが、部下や妻(逮捕前に離婚)から犯罪者が出たことは自身の評価に影響が出ないようで、彼は特に罰を受けることなく最後まで書記として君臨している。それでも彼が作中でもトップクラスに不幸な人物には違いない。

 

李達康のように、党が掲げる正義という理想と経済発展という現実の間で苦しめられる官僚の本音が読める点も本書の見どころである。

 

本書は400ページほどあるが非常に読みやすい文体であり、また普段の読書では知ることができない知識を多数取り入れられるのであっという間に読み終わったのだが、やはり全く知らない世界の物語のためか、日本人(一般庶民?)には理解できない所も多数あった。

 

中でも「は?」と思ったのが取調室の光景である。

 

 

李達康の妻の欧陽菁が取調べを受けているシーンで、一向に口を割らない彼女に対し侯亮平たちは情で訴える作戦に出る。その日がちょうど彼女の誕生日であったため、彼女と比較的強い信頼関係を結んでいる局員がバースデーケーキを持って来る。局員が「今日は取り調べなんかしないで誕生日をお祝いします」と言うと、欧陽菁は感極まって真相を喋るのである。

 

 

本書に出て来る腐敗関係者は基本的にみんな芯が弱い。追い詰められると「党や人民に対して申し訳ない」と嘆き、「何でこんなことをしてしまったんだ」と後悔する。そこには犯罪者としての矜持が全く感じられない。そして物語が進むに連れて、まさかの人物の腐敗疑惑も出て来て芋づる式に何人もの人間が検挙されることになるわけだが、そこからわかることは腐敗する人間も普通の人間であるという紛れもない事実である。

 

それほど妖しい金の魔力からは抗えないのである。物語中盤、侯亮平は汚職の首魁から懐柔されそうになるが、彼はそれを堂々と拒絶する。しかし彼の周りには、子どもの頃の友人で現在は賄賂で逮捕されてしまった蔡成功や、大学の学友で現在は汚職官僚の一人として侯亮平の邪魔をする祁同偉らがいるのである。

 

腐敗を描いた本書はホラー小説にも似ている。

 腐敗関係者はまるで妖しい魔力で人々を誘い、仲間を増やそうとしている吸血鬼である。しかし侯亮平の立場を通じて彼らを見ると、彼らももとを辿れば吸血鬼に襲われた単なる人間なのである。

 

  

侯亮平は腐敗の誘いに全く応えず、数々の障害を乗り越えて自身の任務を遂行したわけだが、本書に登場する様々な腐敗関係者の姿を見ると、『侯亮平』的生き方を貫けなかった人々が現実の中国には一体何人いるのだろうかと考えてしまい、空恐ろしい気分に襲われる。

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巨嬰国 著:武志紅

 

本書『巨嬰国』(巨大な赤ん坊の国)は心理学者の武志紅が著して2016年に出版された本で、今年2月あたりにネットショップを含む書店から撤去されました。とは言え探せば出て来るので、私はタオバオというショッピングサイトで著者の名前を検索した結果見つけることができました。(本のタイトルの場合、検索しても検索結果が表示されない)

 

タイトルの『巨嬰国』とは現代中国のことを指しています。著者の武志紅は中国人の集団心理が生後半年程度の赤ん坊のものであると分析し、『中国は巨大な赤ん坊の国』だという定義のもとに中国人の国民性を述べています。

 

400ページを超える本書は全7章で構成されており、それぞれ以下のように分かれています。

我々の集団は嬰児期で止まっている

巨大な赤ん坊の心理:共生

中国的いい人

我々はみな万能感を持つナルシストの龍である

孝行とは服従だ

返事がないという窮地

龍から人へ

 

 

中国で転倒した老人を助けた人があろうことかその老人から「お前が転ばせたんだろ」と難癖をつけられて金を要求され、裁判にまで発展した通称「彭宇事件」(参考:http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100113/212150/)は日本でも話題になりました。

 

武志紅はこの現象が赤ん坊の行動であると本書の冒頭に書いています。赤ん坊が泣いているときにその原因を他人に求めるのと同様、中国人も上記の老人のように自分に不利な状況に陥ったとき周囲が悪いと思い込み、他人を攻撃するのです。これを武志紅は『巨嬰』(巨大な赤ん坊)と呼んでいます。

そして中国の家庭のいびつさを例に出し、一般家庭は極度に披露した母親、存在感のない父親、問題のある子どもによって形成されていると指摘します。親は自分がかなえられなかった夢を無理やりにでも子どもに背負わせ、子どもは親に甘えながらも親に服従を強いられるという共生状態が生まれ、それが後代に続いていくのです。また、武志紅は自身の経験もあってか『孝道』(親孝行の道)を蛇蝎の如く恨んでいて、中国の伝統的な美徳であるそれを捨てろと唱えます。

 

 


給青年編劇的信 著:宋方金

 

 

本書『給青年編劇的信』(青年脚本家へ送る手紙)は自らを「失敗した脚本家」と卑下する、中国ではまぁまぁ有名なテレビドラマの脚本家である宋方金が、これから脚本家になる、または新人脚本家に対してこの業界のルールや現状をユーモラスな語り口で説明するという内容です。

現在、中国は著作物(IP)を国内外から買い漁ってドラマや映画などの映像化を進めていますが、本書はその浮かれモード(?)な業界に冷水をぶっかけるような内容ではなく、「資本」(功利主義)が蔓延している映像業界で脚本家はプライドを保ったまま創作活動を続けられるか?という一人ひとりの品性に訴えかけています。

彼は脚本家として仕事を発注される立場でありながら、注文の内容が自らの条件に満たない場合は仕事を受けないという芸術家気質もあり、それが自らの首を絞めていることを自覚しながらやはり創作者としての脚本家である姿勢を貫いています。ですのでこの本はアドバイスを書いた指南書であるのですが、読んでいると「青年脚本家のみんな、俺みたいになるな。仕事ならなんでも引き受けろ」という叫び声も聞こえてきそうなほど、宋方金のような人間が現在の脚本家業界では生きづらくなっていることがわかってきます。

 

 

 

それでは彼の発言いくつか抄訳してみましょう。

 

映画には良い映画と悪い映画の二種類しかないが中国にはもう一つ、ニセ映画が存在する。ニセ映画はポスターや予告編で見分けられる。下水油の臭いがするから、過激な描写でその臭いを隠しているものもある。牛乳にメラミンを入れたら死刑になるが、映画界ではメラミンを入れることがレッドカーペットを歩くことにつながり、興行収入○億元突破の祝賀会を開くことになる。

 

王興東(有名な映画監督)が脚本家の契約書のひな形を作り、しかもネットで無料にダウンロードできるよう公開した。私は狂喜乱舞した。このような細かい契約書があれば双方(会社と脚本家)の利益になるからだ。だがそれ以降、私は一度としてこの契約書を見たことがない。

これは何故か?王興東の契約書に不備があるからか?いや違う、契約書が完璧すぎるから誰も使ってくれないのだ!この契約書は会社側が冷や汗をかくのに十分すぎるほど完璧なのだ。

 

(王興東の作成したと思われる契約書は以下のURLで読むことができる。中身は、極めて『普通』の契約書だと思う。)

 http://blog.sina.com.cn/s/blog_706cdd310101do2j.html

 

我が国の主な機関は長年国民に良い情報を伝え、我々は良い情報に囲まれて生きている。だがこれは良い状況ではない。国家と民族が良い情報しか知らず、悪い情報がない場合、その国家と民族は極めて危険な段階に入っていると私は考える。

だから物語に携わる人間は時代の役割を担うべきであり、真実を語り、真実を書き、時代の真相、情念のリアル、人生のリアル、人間性のリアルを書き出す。

 

 

私は昔、月面着陸を疑ったことがある。何故ならアームストロング船長の言った「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩だ」という名言が一人の宇宙飛行士が思いつく言葉ではないからだ。これはアメリカ政府が用意した一節だろう。おそらくハリウッドの脚本家が書いたに違いない、何故ならこの言葉はとってもハリウッド的だからだ。それならば我々中国の宇宙飛行士にも必ず言葉が用意されているだろう。だがそれにはフック(中国語で鈎子。物語が盛り上がるポイントや要素のことを指す言葉だと思う)はない。みんな「祖国に感謝します」と言うに違いない。

 

 


 

契約書の話を読んだ日本人なら誰もが『テルマエ・ロマエ』の映画化の一件を思い出すことでしょう。原作者(脚本家)を蔑ろにするというか、会社側が有利になるように話を進めて、契約書の存在を匂わせないところは日中で変わらないようです。

 

中国で「推理小説の書き方」とか「ライトノベルの書き方」みたいな指南書はこれまで一回も見つけたことはありませんが、「脚本家への道」みたいな本は国内外問わず多くの数を本屋で見ることができます。中国では小説家よりも脚本家になりたい人が多いのかもしれませんが、有名になれるのはごくわずかで、そもそも映画業界はIP(作品)こそ欲していますが肝心の脚本家は全く求めていないのかもしれません。その非人間的な労働環境に気付くと、この本が決して青年脚本家のみに向けたものではないことがわかります。

 

 

 

我不是潘金蓮・劉震雲著(邦訳:私は潘金蓮じゃない・水野衛子訳)

 

 

読んだのは中国語版です。念のため。日本語版は水野衛子訳で彩流社から出ています。

 

 

201611月に中国で公開された同名映画の原作小説です。主役に范氷氷(ファン・ビンビン)、監督に馮小剛(フォン・シャオガン)というビッグネームを起用しているので日本でも有名かと思いますが、恥ずかしながら私はこの映画に全く興味を持たず、原作も知らなかったため、街でポスターを見ても「潘金蓮?なんで今更『金瓶梅』にスポットを当てるんだ?歴史映画か?」という間抜けな感想しか抱かなかったです。

その後友人から「どうやら映画と原作でラストが異なるらしい」という話を聞いても「当時の風俗描写とかが引っかかったのかなぁ」とまたしてもズレた予測しかできませんでした。

 

それから偶然、この作品が現代を舞台にした上訪(人民が直訴のため中央政府のある北京に来ること)小説だと知り、NG表現があるのであれば読む価値があるなと思い、原作を手に取った次第です。

 

 


農村の女性・李雪蓮は夫の秦玉河との間に二人目の子どもを授かる。当然、一人っ子政策に違反しているわけだが罰金やその他の不利益から逃れたい二人は偽装離婚をしてその間に子どもを産むことを提案し離婚届を提出する。しかし離婚中に秦玉河が別の女性と結婚してしまい、偽装離婚が本物の離婚となる。これに怒った李雪蓮は秦玉河を責めるが彼から「お前初夜のとき処女じゃなかっただろ、この潘金蓮め」とあまりに酷いセリフを吐かれる。そこで李雪蓮は離婚が偽りであること、そして自分は潘金蓮ではないことを証明するため、県、省をまたぎ最終的には北京市で開かれている全国人民代表大会(全人代)の会場まで「告訴」をしに行くのであった。


 

 

そもそもの話、一人っ子政策に違反して偽装離婚を企てる李雪蓮が悪いのですが、では一人っ子政策に違反しているから子どもを堕ろすこと、または罰金を払って産むことが正しいのでしょうか。それは中国政府にとって正しいことでしょうが、本当に正しければ李雪蓮だって素直に従っていたでしょう。

このようにこの作品では中国で当然のように罷り通っている「正義」や「ルール」に対し疑問を呈しています。

 

 

小説は「1年目」と「20年後」に分かれ、「1年目」で全人代まで乗り込んで大勢の政府役人の首を飛ばすことになった李雪蓮の存在は中国全土に知れ渡ることになり、以降動く爆弾のように扱われます。そして「1年目」より更に大規模な全人代が開かれる「20年後」に市長や県長や裁判所の所長ら大物が李雪蓮のところへやって来て、散々告訴に来るかどうかの確認をさせられた結果、彼女は「あんたらがあんまりにもしつこいから今年も北京に行ってやる!」と啖呵を切ります。

 

翻訳者の水野衛子さんは自身のブログで、訳しながら李雪蓮の行動に感心したり応援したりしたと書いていますが、私はむしろこんな女性に関わることになった役人連中に憐れみを覚えてしまいました。

 

 

そもそも、「偽装離婚だったのに本当に離婚させられた、訴えてやる!」って案件、「行列のできる法律相談所」で扱う程度の内容でしょうに。そりゃこんな案件真面目に引き受けたくありません。しかし、彼女の訴えに正当性があろうがなかろうが、最終的に誰が彼女を評価するかによって、形勢はオセロのようにひっくり返るのです。この「鶴の一声」の威力と、同じ案件なのに担当者によって対応が異なるという中国の役所の仕事ぶりを端的且つこれ以上ないほど恐ろしく、そして面白く描写したのが「1年目」でした。「1年目」の終わりに、自分の訴えに見向きもしなかった役人がまとめて首を切られたとき、李雪蓮はそれが仏様の御業によるものと理解して神仏に感謝しますが、読者の目には上訪よりよっぽど危険な行為に映ります。

 

ただ、「20年後」を読み進めると李雪蓮の弱さが垣間見えてしまって可哀想になり、彼女を応援するとともに、彼女の行動に右往左往する役人たちがもっと困れば良いと思ってしまったのも事実です。

しかし読んでいてよくわからなかったのが、李雪蓮の上訪を阻止する役人たちが彼女から貪官汚吏(汚職役人)と言われていて、中国人のレビューでも依然としてその言葉が使われていることです。貪官汚吏は悪いことをして私腹を肥やす腐敗分子と思っていたのですが、人民に奉仕しない役人のことも指すのでしょうか。

 

 

ちなみに私は上訪する人が怖くて仕方ありません。

 

以前、息子を誘拐された母親があらゆる手を尽くし、借金を重ね、夫に呆れられてもなお子どもを探し続けましたが、ようやく見つけた子どもは既にいい年になっていて彼女になつかず、学校卒業と同時に姿を消したという悲しいニュースを見かけました。

http://www.afpbb.com/articles/-/3006789

 

自分にはこの母親より息子の気持ちがわかります。息子は、17年間自分の体を壊してもなお失った息子を探し続けた母親が恐ろしく、そして気持ち悪く思ったことでしょう。

 

 

ルポライターの田中奈美さんは著書『北京陳情村』で陳情村(上訪するために北京に来た人々が集団化してできたコミュニティ)の人々が実は狂っているんじゃないかと疑っていましたが(うろ覚え)、私も同意します。

何故上訪する人は怖いのでしょう。それは彼らが不自由な生活をしながら権力や世間と戦っているからです。この中国という国で「戦っている」こと自体に私は引け目を感じます。そして傍目には勝ち目のない戦いに身を置いている彼らのことがやはり狂っているとしか思えないのです。

 

では李雪蓮は狂人でしょうか。それは違うと思います。何故なら彼女は納得いかない結果ではありますが「1年目」で成果を収め、それから十数年の間ずっと役人を翻弄していた「勝者」だからです。だからこそ私は、たった一人の農村の女性に虐げられる側に回った役人側に同情してしまいます。

 

 

 

ちなみに、友人が教えてくれた映画と原作でラストが異なるという話ですが、原作を読む限りこれのどこが検閲に引っかかったかわかりません。やはり映画を見て確認するしかありませんね。

 

 

 

偽幣之家(偽札の家)というクライムサスペンス小説的なタイトルですが本作はミステリとは関係ありません。多分文学小説のジャンルです。

 

時は改革開放真っ盛りの1980年代後半に福建省の馬鋪が知的障害を持つ子どものために熱狂するというお話です。


銭九発と黄瓊花は決して愛し合っている夫婦でもなければ裕福な家庭にいるわけでもありません。だと言うのに夫の九発は給料を貰えば(当時で月200元もない)バクチへ行ってはスって、方々に多額の借金をこさえる甲斐性なしです。妻の瓊花はそんな夫に嫌気が差して毎日小言ばかりを言い、二人の間にはケンカが絶えません。そんな中生まれた銭金清が二人に波乱を巻き起こします。8歳になってもほとんど口を利かず、家中に落書きばかりしていた彼はある日妹の金霞(一人っ子政策違反)の全身に絵を描いているところを九発に見つかります。すでに息をしていない娘を見た九発は怒りのあまり金清を天井まで蹴り飛ばす。その後金清は今まで以上に感情を出さない子どもになり、親を含めた村中から半丁(半人前、知恵遅れという意味)のあだ名で呼ばれるようになります。

しかし、この半丁が紙に描いた本物そっくりのお札が、縁起がいいということで本物のお金で高く買い取られるようになってから九発と瓊花の生活が一変します。


 

 

作品には作者の生まれ故郷である閩南(福建省南部)の方言が散りばめられていますが、「又生了硬的(男的)(訳:また男を産んだ)」というふうに注釈が付いているので読むのにさほど苦労はしません。

 

読んでいる間、この作品は絶対にハッピーエンドでは終わらないだろうという不安がありました。

ストーリーがおとぎ話にも似ていて、欲深者には絶対に罰が当たるというパターンが踏襲されています。いじわるな爺さんと婆さんのところに半丁という福の神がやって来て、最初は小金を稼ぐだけでしたが半丁が金の生る木だとわかると大きな規模の金儲けを思いつき、散々利用したある日福の神は去って行ってしまい、残された爺さんと婆さんは貧乏に逆戻りしてしまうのです。欲深者は馬鹿を見るパターンは全世界共通なのでしょうか。

 

幸運をもたらす偽札は半丁が手で一枚ずつ描き上げているのですから大量生産できるわけありませんし、人が作っている以上終わりがあります。ただ、機械のように黙々と偽札を描く半丁を、九発は我が子を『偽札を描く道具』程度にしか見ませんし、他の大人も半丁を心配したり、彼の人権を気にかけたりする人は一人もいません。親の九発を筆頭に登場人物全員クズなのですが、この作品には不快感が全くありません。こういうと怒られるかもしれませんが、みんな純朴で素直なんです。お金があるからバクチをする、子どもが描いた絵が金になるから売る、その絵が福を呼ぶから買う、バクチに飽きたから女を買う、お金があるから夫婦ケンカをしないと言ったように、お金を中心に回っていて感情をさしはさむ余地がありません。金に支配されている彼らは半丁を利用しているようで間接的に半丁の下についており、意思表示もできない子どもに逆らえない滑稽さが描かれています。

 

 

決して、子どもを虐待して強制的に働かせている話ではないのです。漫画家が自分の子どもが起こした面白い事件をネタにして漫画を描くのと違うところはありません。

 

 

ちなみに、本書は1980年代後半が背景になっていますので、ここに出て来る100元札などのお札は1987年に発行された第4版と呼ばれるものです。現在中国で使用されているお札は1999年発行の第5版と呼ばれていて、2015年に100元札のみ新しいバージョンが出ました。

 

参考:http://business.sohu.com/20150810/n418503656.shtml

  

中国文学研究者なら本書から中国の拝金主義や迷信を批判しながらそれに群がる盲目的な集団心理などを読み取るのでしょうが、私は素養がないのでやりません。ただし、読書する価値は十分にあると思います。

 

また、ラスト30ページは普通のホラー小説よりはるかに恐ろしいです。貴志祐介の『黒い家』に比肩する、日本ホラー小説大賞受賞作を思わせる狂気が描かれています。


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