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プロフィール
HN:
栖鄭 椎(すてい しい)
年齢:
34
性別:
非公開
誕生日:
1983/06/25
職業:
契約社員
趣味:
ビルバク
自己紹介:
 24歳、独身。人形のルリと二人暮し。契約社員で素人作家。どうしてもっと人の心を動かすものを俺は書けないんだろう。いつも悩んでいる……ただの筋少ファン。



副管理人 阿井幸作(あい こうさく)

 28歳、独身。北京に在住している、怪談とラヴクラフトが好きな元留学生・現社会人。中国で面白い小説(特に推理と怪奇)がないかと探しているが難航中。

 Mail: yominuku★gmail.com
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このブログは、友達なんかは作らずに変な本ばかり読んでいた二人による文芸的なブログです。      

ネタバレあり。


 


和訳出版もされた第3回島田荘司推理小説賞受賞作品我是漫画大王(ぼくは漫画大王)のほか『尋找結衣同學(結衣さんを探して)』でもそうだったが、今作でも小説の中に矢印が全く違う方向を向いたストーリーを複数書き、どのような結末に収束するのか予想させない展開を見せた。


 




台湾の大学で中国語教授をやっている孫元泰は、「華人相対論隔年会」に参加するために台湾に戻ってきたカリフォルニア工科大学物理学教授の莊大猷と不可思議な殺人事件に巻き込まれる。莊大猷と同じく「タイムトラベル」の分野を研究し、華人相対論隔年会に出席予定だった葛衛東が台湾のホテルの一室で他殺体で見つかった。現場は密室で、彼の頭には1936年に紛失したはずの金のカンザシが刺さっており、現場の監視カメラには古風な服装をした女性が映っていた。まさか犯人はタイムマシンに乗って過去からやってきた人間なのだろうか。そして大勢の物理学関係者が集まる華人相対論隔年会でマスタードガスが撒かれ、莊大猷も失明の被害に遭う。





 


 


ミステリ小説には超常現象が実在する可能性を考慮しながら進む話があるが、本作もそのタイプで、タイムトラベルなんか存在するはずないのに孫元泰を中心にしてどんどん「タイムマシンはある」という方向で話が進む。


 


孫元泰には物理の知識がほとんどと言っていいほどなく、また莊大猷ら同年代の人間と比べても幼さが目立ち、タイムトラベルに関する知識もほぼ莊大猷からの受け売りだ。そんな彼が事件現場の状況を見て、犯行の不可能性に気付き、80年前のカンザシが凶器に使われたこと、昔の格好をした女性が現場付近に出現したこと、葛衛東が生前非常に短い時間ではあるが一瞬だけ時間を遡れる装置を開発していたことを知ると、「これはもう犯人がタイムマシンに乗ってやってきて、葛衛東を殺してから帰ったとしか考えられない!」と思い込む。


 


だから事件の第三者に「犯人はタイムトラベラー説」を披露して、そんなことあるわけないだろ!と一蹴される孫元泰の様子は非常に小気味よく、そんな常識的な返事をされて「えっ?」と目を丸くする反応には読者に失望すら感じさせる。


 


そもそも『ターミネーター』のように未来から殺し屋がやってくるならまだしも、過去からやってくるってどういうことだよ。


 


しかし、タイムトラベルという非常識な可能性を削除したとしても、やはり葛衛東の死因はタイムトラベルと関係があるんじゃないかと考えられる。そこで事件はカンザシが行方不明になった1936年に遡る。


本作は現代を舞台にした「台北」編と1930年代を舞台にした「南京」編に大きく分かれる。前半はこの二つがどう交わるのか全く予想がつかないが、南京編で登場するキーパーソンが現代と過去を結び付け、過去にとある人物に見せた優しさが80年後に惨劇を生じさせるという時間のイタズラを無慈悲に描き、「孝行」という道徳が招く狂気を露わにする。


 


結末に至った原因、というか殺害に至った真相はタイムマシンが実在することよりも更に荒唐無稽だ。一人の人間の善意と家族に対する孝行を起点とした悲劇に、タイムトラベルというSF設定にリアリティを補強して、決して誰からも理解されない犯人の動機を読者にしか明かさないという丁寧かつ大胆なストーリー構成は非常に感心させられた。


 


 


本作は『ぼくは漫画大王』に登場した盧俊彦が大学生として再登場していたり、『尋找結衣同學(結衣さんを探して)』と同じく台湾の大学問題を書いていたり、本筋以外にも見どころを用意してくれている。


 


しかし、過去の南京編で1930年代を舞台にしていることからも分かるように、本作に日本が間接的に関わっていることを無視するわけにはいかないだろう。現在も戦争、というか侵略された記憶は物語に反映できるほど十分に濃いわけであり、今後も過去を舞台にしたストーリーにはついて回るので、戦争の描写があるからと言って驚いてはいけない。

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ネタバレあり。


 


 


 前世紀のミステリかと思う作風で、作者が自分のミステリ趣味を出し惜しみしていない。


  


中国で本格ミステリを書くにはリアリティが不足し、どうしても日系ミステリっぽくなってしまうのだが、そもそも新本格なんて日本でもリアリティないじゃないかと吹っ切れたのが本作だと思う。その結果、中国が舞台なのに日本人が住む雪で覆われた山荘が出てきたり、塔に幽閉された子どもが出てきたり、もうやりたい放題だ。


更に日本人の屋敷に勤めている中国人が和服を着ていたり、みんなで日本茶を飲んだりと、日本人が読んでちょっとこっ恥ずかしくなるほど日本要素が出てくるが、これは日系ミステリに対するリスペクトと受け取っておこう。


  





探偵の友人・陳黙思と会った陸宇は去年の冬に遭遇した殺人事件の一部始終を語る。外界と隔絶したその山荘には日本人科学者・伊藤健太郎一家と中国人の使用人らが住んでいた。「先祖返り」を研究する伊藤教授、伊藤教授の娘で10年以上その山荘に籠もっていた葵子、彼女の弟で生まれてからずっと山荘の外に建つ三つの巨大な鐘塔に一人で住む直樹がいる常識はずれの空間で次々と殺人事件が起きる。新聞記者の陸万剛が鐘塔から落ち、続いて伊藤教授が奇妙な傷のついた死体で発見される。陸宇は先輩の韓適と共に事件の調査に乗り出すが、後日その全てを聞いた陳黙思は彼らの推理の矛盾点を指摘し、真犯人を見つけ出す。





  


本作の見所は三つの鐘塔とその建物の主である伊藤教授の存在だ。伊藤教授は「先祖返り」を研究している科学者であり、その設定は『ドグラ・マグラ』を思い起こさせる。他にもシャム双生児を使った叙述トリック、「先祖返り」を起こしてネコのように四足で移動する人間、などなど前世紀のミステリ小説を思わせる要素が数々出てくる。これを作家のミステリ知識層の厚さと見るべきか、ミステリの時間が古いところで止まっていると見るべきか一瞬悩み、戸惑うが、読み進めると前者であると気付くだろう。


 


本作には「真犯人」が3回出てくる。まず真犯人Aが導き出されるが、その後真犯人Bが登場し、最終的に探偵によって本当の真犯人Cが暴かれるという三段階の展開だ。


新しい情報が出て証拠がより確固たるものとなり、論理が通った推理が展開され、より確実な「真犯人」像が出てくるが、それから導き出される真相はますます現実離れしていく。その三段階の推理はクッションの役割を果たしており、もし最初に真犯人Cが提示されていれば読者に受け入れられなかっただろう。


 


本書のタイトルには「殺人事件」という言葉が含まれている。中国の出版業界では数年前から「殺人」等の単語をタイトルに使ってはいけないという曖昧な「お触れ」が出た。その結果、主に自主規制という形で出版社がそれらの言葉をタイトルに使わないようにし、中国ミステリだけではなく翻訳された日本ミステリもタイトルから「殺人」の二文字が消えたりした。しかし特に明確な規定もなかったようで、実は本書のように「殺人事件」と付いた本も出ている。


このおかしな状況は中国のミステリ小説家も不思議に思うところで、青稞と同じく新星出版社で本を出している陸秋槎も63日にミステリ小説家呼延雲と共に行ったトークショーで「どういうことだよ?」という感じで突っ込んでいた。


 


「◯◯殺人事件」というタイトルは座りも良いので、今後も日系ミステリっぽい中国ミステリのタイトルに使えればいいのだが、そのまま使うのも思考停止の感が否めないので、規制の中で中国ミステリらしいタイトルを生み出していってほしい。

 


夏日蛍火 著:謝筠琛
 
 全部読んだけど個人的には合わなかった一冊。


 




高校教師になった関月青は着任早々韓立洋という男子生徒の飛び降り現場に遭遇する。事件、事故、自殺の可能性が考えられるが学校側は放課後に起きたことであり自身に責任はないと主張し、韓立洋の両親は同じように自殺を否定し学校の監督責任を問い、事件は警察の手に委ねられる。だがその後、韓立洋と仲が良かった張睿斯という女子生徒が密室となった実験室で服毒死しているのをまた関月青が発見する。2人の死は偶然の自殺なのか。いま生徒に何が起こっているのか。





 


一見すると学園ミステリのジャンルのようだが、探偵役の主人公は教師であり生徒と一緒に推理することもないので単に学校が舞台のミステリとしか言えない。主な謎は生徒の飛び降り死と服毒死であり、2人の死の謎を究明しながら彼らの過去や交友関係が明らかになるが、現代の高校生を取り巻く環境や教育問題など社会問題のようなものも書いている。


 


前半の飛び降り死を受けて保護者に責任を追求される教師の様子を書いて、いかにも現代中国の社会問題を描写している感じだが結局は理不尽な保護者を書いて終わっている。もし掘り下げたいのなら保護者視点の描写も必要だし、死んだ子どもの親を一方的にヒステリックな敵役にするのはアンフェアだ。


 


しかも肝心のトリックがよりによって使い古されたアレとは。いや、例え有名な作家が「もう○○を使ったトリックは古い」と言っても誰が何のトリックを書こうか自由である。しかし、物語の途中に解明されるトリックならまだしもラストにこのトリックを持ってこられると「今まで300ページも読んでてコレかよと脱力感しか起こらない。


 


もう一つ気になるのが会話の多さだ。1人が1行分喋ったらもう1人がまた1行分だけ喋るという繰り返しで、テンポの良い会話といえば聞こえが良いが尺稼ぎにも思える。クソ映画はどうでもいい会話をして尺を延ばすという話を聞いたことがあるが、それは小説にも当てはまるんじゃなかろうか。


 


しかし、最近新星出版社とは相性が悪い。この前も小米という作者が新星から出した『空中小姐』(キャビンアテンダント)を読んだが、これは半分でギブアップしてしまった。衒学的と言うか、古今東西の名作から台詞や地の文を持ってきて貼っ付けまくったコピーアンドペースト小説という感じだった。超人的な記憶能力と推理力を持つ本屋の店主が事あるごとに各作品の有名をフレーズを口にしたり思ったりするんだが、もう作者に「凄いですね」としか言えない内容だった。ページ末尾に10ページ以上にわたる参考文献一覧が載っていることからどれほどの量を引用したかが分かるだろう。


 


 


実は謝筠琛も小米も推理小説家としては新人…だと思う。新星出版社が新人にミステリを書かせて業界に挑戦しているのだと思ったが、その試みは今のところ失敗しているとしか言えない。陸秋槎や時晨のようなトリックに重きを置く作家とは別の、ストーリーが個性的な作家を抱えて新規読者を増やそうとしているのかもしれないが、昔からのミステリ読者にはそっぽを向かれているのが現状ではないだろうか。


 


しかし、私にとって相性の合わないミステリは新星だけが出しているわけではない。統計を取っていないが感覚的には中国で「ミステリ」とつく国産小説がどんどん増えていっている感じだ。玉石混交の言葉通り、その中には面白いと思えない作品も当然存在する。つまらないと思えるミステリ小説が増えたのは、もしかしたら中国の出版社が「ミステリは売れる」と認識した証拠なのかもしれない。


 

『唐人街探案』(Detective Chinatown)は2015年中国で上映されたコメディミステリーです。この216日に2が公開されたので、1を見てみることにしました。


 


抜群の頭脳と推理力を持つが吃音症のせいでうまく喋れない秦風は祖母のすすめで叔父・唐仁のいるタイに旅行へ行く。祖母から唐人街(チャイナタウン)1の名探偵と聞いていたが、探偵とは名ばかりでやっていることは迷い犬猫探しや荷物配達、しかも下品でガサツな性格の唐仁に秦風はタイに来て早々いやけが差す。だが、唐仁が殺人と黄金強盗の容疑者として警察やマフィアに追われ、秦風はなし崩し的に唐仁と共に彼の冤罪を晴らす逃避行に出る。


 


 


実はこの映画、最初は全然受け付けなくて全く面白いと思いませんでした。


その原因が唐仁の性格。彼は下品でガサツで、しかも人から好かれるところも見当たらない人間で、形容すれば人から嫌われてばかりの『こち亀』の両さんや『男はつらいよ』の寅さん、みたいな感じでしょうか。


 


しかし何より私を苛立たせたのは、彼が容疑者として負われている身であるにも関わらず探偵役の秦風に非協力的で、非合理的な行動ばかり取り、自身と秦風を窮地に追いやります。まぁそのあたりはコメディ映画なので上手くやるんですが、もし一般的なミステリー作品ならこういう人間はさっさと捕まるか殺されるかのどちらかですね。


 


唐仁は推理をほとんど重視せず結果(自分が犯人ではないという証拠)だけを欲しているので、秦風が事件現場に行ったり監視カメラを見たりする行為を無意味と思います。秦風は無理解な唐仁を説得したいのに吃音症が邪魔をして逆に彼に言い負かされます。


 


この映画では探偵役と助手役(容疑者役)の立場を単純な上下関係として成立させておらず、探偵だから彼の話を聞かなければいけないという態度を必ずしも取りません。


もしホームズがコミュ障だったら?もしワトソンがホームズより口が達者で強気な性格だったら?そのような「If」をコメディ映画の体裁で作ったのが本作です。


ちなみに秦風、推理しているときだけ全くつっかえずにスラスラ喋ります。「コイツ、推理しているときだけ早口になるの気持ち悪いよな


 


コメディ部分は結構ダサいというかベタなのに対し、ミステリー部分は結構しっかりした密室トリックになっていて、ミステリーシーンにコメディ要素は一切ありません。ミステリー部分とコメディ部分で脚本家違うんじゃないでしょうか。


 


結局、犯人のトリックが明らかになる中盤からコメディもミステリーも楽しめるようになり、見終わった時には早く2が見たいと思うまでになりました。コメディ箇所はコメディ映画として、ミステリー箇所はミステリー映画として切り替えて楽しむのが適切な見方だと思います。ただ、2はミステリー要素が薄いという噂です。


 


何ていうか、推理と言うのは周囲の理解がないと成立しないのだなぁと悟らせてくれる作品でした。余談ですが本作には歌野晶午青崎有吾の某作品のネタバレが入っていますので注意。


 

 


 


春節長期連休で暇なので中国の動画サイトで公式がアップしている中国映画を見ています。中国の動画サイトはサイト自体に一度お金を支払った後はその期間内有料映画も有料アニメも全て見放題になるので、時間があるときに一気に見ることができます。


 


んで、今日は同名の中国有名サスペンス小説を映画化した『心理罪』を2作品見ました。


 


『心理罪』とは作家であり中国刑事警察学院で刑法学を教えている雷米の書いた長編シリーズで、そのうちの『画像』と『城市之光』(都市の光)が2017年の8月と12月にそれぞれ映画化されました。しかしこの映画、確かに作品内のキャラクターなどは同じなのですが厳密には連作と言えず、1作目と2作目では映画監督もキャストも異なります。また、ドラマシリーズにもなっているのですがそれもまたキャスト等全く違います。


 


今回はその映画2作品のレビューをアップしますが、ガッツリネタバレしているのでご注意ください。


 


 



1作目『心理罪』


 


原作では2作目の『画像』を改編した映画。若き犯罪心理学の天才・方木と昔ながらやり方を好むベテラン刑事・廖凡が吸血鬼犯罪に挑む。


人の生き血と牛乳を混ぜて飲む連続殺人に遭遇した廖凡は知り合いの心理学者から方木を紹介される。実力は確かだが他人の気持ちを全く考えず、全然警察らしくない心理学馬鹿・方木に反感を覚えながらも彼を見守り、認めていく廖凡。方木も頭の固い廖凡に反発しながらも被害者を最優先する姿勢を貫く彼に尊敬の念を抱く。しかし犯人の魔の手は方木の恋人にも忍び寄る。


 


頭は良くてイケメンだけど全くの貧弱でしかも人も気持ちや空気が読めない方木と、中国語で「野獣派」と紹介されるほど男臭い廖凡の対比や和解を通じてお互いに足りない部分を補い合っていくという成長の物語です。


 


 


基本汗かいてるシーンばっかの廖凡


 


 


実習生のくせに直属の上司廖凡に「貴方は素晴らしい研究サンプルだ」と言ってしまう方木


 


方木のプロファイリングが何かもう超能力じみていて凡人には何故そのような結論を導き出せるかわからず、それが余計に廖凡を苛つかせて、視聴者に彼が天才児だという印象を与えるわけですが、その他にも本作には良くも悪くも現実離れした要素があります。「吸血鬼」に投与すると身体能力が格段に向上する薬とか、元ネタはあるんでしょうかね。


 


私は原作小説を読んでいないので、これが映画版オリジナルゆえの蛇足とも断言できないのですが、一番いらないなと思ったのが方木の駆使する「烏賊」と呼ばれる小型ドローンです。


彼はコレをラジコン以上の精度で自由に飛ばし、それと腕時計をリンクさせてリアルタイムの映像を見て、犯人の顔を認識するという機能を駆使して犯人を捕まえるわけですが、コレが特に現実離れしていて、不要だったのではと思いました。


 


コレ


 


天才犯罪心理学者・方木の誕生譚を描いていて総合的には「エピソード0」的なつくりで面白かったです。


 


 



2作目『心理罪之城市之光』


 


原作では5作目の『城市之光』(都市の光)を改編した映画。法律が裁けない人物をパニッシャー気取りで殺していく連続殺人鬼と天才犯罪心理学者・方木の悲壮な戦いを描いた作品だ。


 


都市を震撼させる連続殺人事件。被害者はいずれも自らの行動が原因で他者を死に追いやり、ネットで叩かれたが法律には裁かれていない人物だった。事件現場を調べる方木は遺留品に自分に結び付く情報が書かれていることに気付き、一連の事件は自分にメッセージを送るために起こしたものだと考えるがその矢先に「城市之光」と称する人物がネットに現れ、特設サイトのアクセス数が10万を超えたら少女に対して不当な弁護をした弁護士を爆殺するという劇場型犯罪を仕掛ける。旧友に容疑者がいると考えた方木は「君になりたかった」と方木を崇拝する高校の同級生・江亜と再会する。そして世論は徐々に「城市之光」を応援するようになり、犯人の魔の手は方木の養女・廖亜凡に向けられる。


 


 


都市を守る「城市之光」になることを誓った若き日の方木


 


 


自身が憧れた方木を殺し、悪を裁く「城市之光」になろうとする江亜


 


 


もとよりサイコパス気味だった友人がストーカーになってしまった方木は江亜に自身の最愛の娘(実の娘ではない)廖亜凡を殺されますが、なんというか見方によっては恋愛の邪魔者が死んだだけのように見えてしまうのはこの映画のヒロイン・米楠がいるからでしょう。犯罪事件の被害者・廖亜凡は方木と同棲していて、大人になったら彼と結婚すると息巻いており、その様子を方木の同僚の米楠は微笑ましく見ているのですが彼女も方木に好意を抱いています。廖亜凡の死に米楠もショックを受けましたが、気付いたらいつの間にか正妻ヅラしているので廖亜凡の無駄死に感が凄いんですよね。


 


 


この作品を10点満点で評価すると前半・中盤・後半がみな10点なのに対し、ラストがマイナス100点という、私にとって非常に納得できない終わり方をしています。


 


物語終盤、方木と江亜は「城市之光」の名前をめぐってタイマンバトルをします。実はそれは方木の罠で、彼は絶対に尻尾を出さない江亜が犯人だという確固たる証拠を得るために敢えて殺されに行きます。


 


そしてラスト、捕まった江亜や同僚たちの前で方木が事前に録画した映像が流され、警察及び中国人全員に対して「正義とは何か」というメッセージを発します。これだけでも噴飯物なのに、更に許せないのはここまでやっておいて実は方木が死んでいなかったことです。


 


原作通りかもしれませんが、当局に気を遣ったのかなと疑うほどラストの過剰なメッセージでとんだプロパガンダ映画に成り下がりました。


本作品のメッセージは途中で爆殺された弁護士の最期の言葉に十分表れているのです。爆弾を括り付けられた弁護士はとうとう助からないと悟り、方木らにこの場から離れるよう言い、そして「母親に伝えてくれ。自分はネットで言われるほど悪い人間ではないって」と遺言を残します。ネットで他人を攻撃していい人間など一人もおらず、またリンチされるべき人間も一人もいないのです。それを遵守するのは難しいかもしれませんが、しかし映画の最後にわざわざ言うべきことでもないのです。


 


 


ちなみに本映画はエンディングのスタッフロールで実際に警察や一般市民らが正義のために活躍した映像が次々流され、なんかまた微妙な気分にさせられます。


 


 


あとこれはツッコミではなく単なる疑問なのですが、中国では本作のようにネットを利用した劇場型犯罪って果たしてできるのでしょうか。ご存知、中国はネット規制が厳しく、特定の用語の検索結果を表示させないことや、海外のサイトを閲覧不可にさせることが可能です。


そのような国で、アクセス10万行ったら殺害というのは規制が追いつかないかもしれませんが、ネットのBBSに犯罪者を賛美するコメントを書き込めるのかどうかが疑問です。中国の社会派ミステリにおいて、中国人はこのような「矛盾」に遭遇した際いったいどのように消化しているのか、その辺りが気になります。


 


 


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